高尾懺悔(読み)タカオサンゲ

デジタル大辞泉 「高尾懺悔」の意味・読み・例文・類語

たかおさんげ〔たかをサンゲ〕【高尾懺悔】

歌舞伎舞踊長唄本名題高尾懺悔の段」。藤本斗文作詞、杵屋新右衛門作曲。延享元年(1744)江戸市村座初演。傾城高尾の亡霊が現れて生前のことを懺悔するもの。

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精選版 日本国語大辞典 「高尾懺悔」の意味・読み・例文・類語

たかおさんげたかをサンゲ【高尾懺悔】

  1. 長唄。杵屋新右衛門作曲。作詞者不明。本名題「高尾懺悔の段」。延享元年(一七四四)江戸市村座初演。傾城高尾(けいせいたかお)の亡霊が現われて過ぎし日の追懐地獄の責め苦を語るというもの。作曲が巧みで好評を得、同趣向の作が荻江節富本節新曲高尾懺悔)などにも出来た。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高尾懺悔」の意味・わかりやすい解説

高尾懺悔
たかおさんげ

歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。本名題(なだい)『高尾さんげの段』。1744年(延享1)3月、江戸・中村座で市村満蔵が初演。『七種曽我(ななくさわかやぎそが)』という曽我狂言の三番目としてつくられた曲で、作詞藤本斗文(とぶん)、作曲杵屋新右衛門(きねやしんえもん)。八百屋お七が傾城(けいせい)高尾の塚に差しかかると高尾の亡霊が現れ、ありし日の廓(くるわ)の追想灯籠(とうろう)踊りの音頭などを踊ったあと、いまの地獄の責め苦を物語るという筋(すじ)で、長唄中の名曲ながら、振(ふり)は絶えていたのを、昭和になってお七のくだりは省いて復活された。御家騒動の犠牲になって非業の死を遂げたという名妓(めいぎ)高尾(10代目といわれる)は、歌舞伎では伊達(だて)騒動物に多く登場するが、その亡霊が現世に姿を現すという筋は歌舞伎舞踊の一系列「浅間物」の傍流で、やはり「高尾物」という系列をなしていて、その代表作。詞章がそのまま荻江節(おぎえぶし)に改曲されたのをはじめ、富本節(とみもとぶし)に『新曲高尾懺悔』(1782)があり、変形として富本節『茂懺悔睦言(なつこだちさんげのむつごと)』(扇売(おうぎうり)高尾、1801)、これを常磐津(ときわず)に改作した『和事色世話(やつしごといろのよがたり)』(新高尾、1825)などがある。

[松井俊諭]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「高尾懺悔」の解説

高尾懺悔
〔長唄〕
たかおざんげ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
演者
杵屋新右衛門(1代)
初演
延享1.1(江戸・市村座)

高尾懺悔
(通称)
たかおざんげ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
新曲高尾懺悔
初演
天明2.7(江戸・中村座)

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