杵屋正次郎(読み)きねやしょうじろう

精選版 日本国語大辞典 「杵屋正次郎」の意味・読み・例文・類語

きねや‐しょうじろう【杵屋正次郎】

  1. 三世。邦楽家。長唄三味線方。幕末、明治初期の名人。「連獅子」「茨木」「鏡獅子」など舞踊劇曲にすぐれた作品を残す。文政一一~明治二九年(一八二八‐九六

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改訂新版 世界大百科事典 「杵屋正次郎」の意味・わかりやすい解説

杵屋正次(治)郎 (きねやしょうじろう)

長唄三味線方。現在まで6世を数えるが,3世が著名。(1)初世(?-1803(享和3)) もと浅草奥山独楽回し松井源水の三味線を弾いていたのを見いだされたという。2世杵屋六三郎門弟。《鬼次拍子舞(おにじひようしまい)》《木賊刈(とくさかり)》などを作曲。(2)2世(?-1820(文政3)) 初世の実子とも門弟ともいわれる。前名彦次郎。1805年(文化2)正次郎を襲名。《舌出三番叟(しただしさんばそう)》《犬神(いぬがみ)》《汐汲(しおくみ)》などを作曲した。(3)3世(1827-96・文政10-明治29) 2世の門弟正三郎の実子。前名2世彦次郎。1855年(安政2)正次郎を襲名。幕末から明治初期にかけて,2世勝三郎,3世勘五郎とともに作曲の名人と称せられた。9世市川団十郎の信頼も厚く,《連獅子(瀬戸連)》《元禄花見踊》《土蜘(つちぐも)》《茨木》《鏡獅子》などを作曲。また,下座音楽の作曲や旧来の曲に新しい合方を加えるなど名旋律を生みだした。1878年(明治11)ごろから正治郎と名前の字を改めた。(4)4世(1870-1940・明治3-昭和15) 3世の実子。前名は3世彦次郎。1902年正次郎を襲名。(5)5世 4世杵屋栄蔵の前名。(6)6世(1935-2011・昭和10-平成23) 3世栄蔵の門弟栄美彦に師事した栄慎次が1981年に襲名。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杵屋正次郎」の意味・わかりやすい解説

杵屋正次郎
きねやしょうじろう

長唄(ながうた)三味線方。正治郎とも書く。現在まで6世を数えるが、3世がもっとも著名。

[渡辺尚子]

初世

(?―1803)2世杵屋六三郎の門弟。『高砂丹前(たかさごたんぜん)』『羽根の禿(かむろ)』『手習子(てならいこ)』などを作曲。

[渡辺尚子]

2世

(?―1820)前名彦次郎。1805年(文化2)2世を襲名。『汐汲(しおくみ)』『舌出三番叟(しただしさんばそう)』などを作曲。

[渡辺尚子]

3世

(1827―1896)2世の門弟正三郎の実子で、1855年(安政2)3世を襲名。2世勝三郎、3世勘五郎とともに優れた作曲家として名高く、明治の長唄界をリードした。『連獅子(れんじし)』『岸の柳』『元禄(げんろく)花見踊』『土蜘(つちぐも)』『茨木(いばらき)』『鏡獅子(かがみじし)』などの名曲多数作曲したほか、歌舞伎(かぶき)下座音楽や新しい合方の作曲をも手がけている。明治29年10月31日没。4世(1870―1940)は3世の実子が継ぎ、5世は4世栄蔵(1917―1988)の前名。

[渡辺尚子]

6世

(1935―2011)本名古茂田定雄。前名栄慎次から1981年(昭和56)に6世を襲名。

[渡辺尚子]

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百科事典マイペディア 「杵屋正次郎」の意味・わかりやすい解説

杵屋正次郎【きねやしょうじろう】

長唄三味線方の芸名。現在6世。3世〔1827-1895〕は幕末から明治にかけ活躍した。《元禄花見踊》《鏡獅子》などの長唄や,多くの下座音楽を作り,3世杵屋勘五郎(11世杵屋六左衛門),2世杵屋勝三郎とともに作曲の三傑と称された。晩年に正治郎と改名したが4世から再び正次郎に戻った。
→関連項目茨木杵屋六三郎筑摩川土蜘/土蜘蛛(演劇)釣狐船弁慶

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朝日日本歴史人物事典 「杵屋正次郎」の解説

杵屋正次郎(3代)

没年:明治28.10.31(1895)
生年:文政9(1826)
江戸末期から明治にかけての長唄三味線方。2代目杵屋正次郎の門弟であった正三郎の実子で,天保14(1843)年に2代目杵屋彦次郎として江戸市村座に出勤するようになる。3代目正次郎を継いだのは安政2(1855)年で,以来明治期に至るまで,三味線の名人として,また優れた作曲者としてその名を馳せた。代表作に「岸の柳」「元禄花見踊」「土蜘」「紅葉狩」「鏡獅子」などがある。そのなかには三味線の器楽的部分である合方のみの作曲もあり,「京鹿子娘道成寺」のチンチレリンの合方や「勧進帳」の滝流しの合方などを新しく付けた。また9代目市川団十郎の信頼を得て,団十郎のために多くの作品を残したことは特筆すべきであろう。正次郎の名跡は,平成期まで6代を数える。<参考文献>町田嘉章『杵屋正次郎の代々

(長葉子)


杵屋正次郎(初代)

没年:享和3.11.3(1803.12.16)
生年:生年不詳
江戸中期,長唄の三味線方。江戸浅草奥山で独楽回しの伴奏に三味線を弾いていたのを見いだされ,2代目杵屋六三郎の門に入ったという。安永~寛政(1772~1801)ごろを代表する三味線弾きで,作曲も「仲蔵狂乱」「高砂丹前」など数多く伝えられる。<参考文献>町田嘉章『杵屋正次郎の代々』

(長葉子)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杵屋正次郎」の意味・わかりやすい解説

杵屋正次郎(3世)
きねやしょうじろう[さんせい]

[生]文政10(1827)
[没]1895.10.31.
長唄三味線方の家元。2世杵屋正次郎の門弟正三郎の実子。安政2 (1855) 年に3世を襲名。近世の名人といわれ,特に芝居長唄の作曲で著名。『連獅子』『元禄風花見踊』『土蜘 (つちぐも) 』『茨木』『船弁慶』『鏡獅子』などを作曲するとともに旧来の曲に手を加えて楽曲としておもしろさを発揮させようとした。すなわち『娘道成寺』の「チンチリレンの合方」,『勧進帳』の「延年」や「滝流し」,『鷺娘』の「羽バタキ」などがそれである。そのほか下座音楽にも数多くの名旋律を残した。

杵屋正次郎(1世)
きねやしょうじろう[いっせい]

[生]?
[没]享和3(1803).11.3.
長唄三味線方の家元。2世杵屋六三郎の門弟。浅草奥山の独楽 (こま) 回し松井源水の相方をつとめていたのが見出されたという。『羽根の禿 (かむろ) 』『高砂丹前』『木賊刈 (とくさかり) 』などを作曲。

杵屋正次郎(6世)
きねやしょうじろう[ろくせい]

[生]1935.1.25. 東京,東京
[没]2011.7.1.
長唄三味線方の家元。本名古茂田定雄。3世杵屋栄蔵の門弟の杵屋栄美彦に三味線を習い,杵屋栄慎次から 1981年に 6世を襲名した。

杵屋正次郎(5世)
きねやしょうじろう[ごせい]

[生]1917.10.17.
[没]1988.6.20.
長唄三味線方の家元。3世杵屋栄蔵の子。本名小田貞夫。 1959年5世正次郎襲名。 68年4世栄蔵となる。

杵屋正次郎(2世)
きねやしょうじろう[にせい]

[生]?
[没]文政3(1820).9.1.
長唄三味線方の家元。1世杵屋正次郎の実子で,作品は『舌出三番叟 (しただしさんばそう) 』『犬神』『汐汲』など。

杵屋正次郎(4世)
きねやしょうじろう[よんせい]

[生]明治3(1870)
[没]1940.2.12.
長唄三味線方の家元。3世杵屋正次郎の実子。前名彦次郎。 1902年4世を襲名。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「杵屋正次郎」の解説

杵屋 正次郎(4代目)
キネヤ ショウジロウ


職業
長唄三味線方

本名
大橋 新太郎

別名
前名=杵屋 彦次郎

経歴
最も著名な3代目の子で、明治35年4代正次郎を襲名した。

没年月日
昭和15年 2月12日 (1940年)

家族
父=杵屋 正次郎(3代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「杵屋正次郎」の解説

杵屋 正次郎(4代目)
キネヤ ショウジロウ

明治期の長唄三味線方



没年
昭和15(1940)年2月12日

本名
大橋 新太郎

別名
前名=杵屋 彦次郎

経歴
最も著名な3代目の子で、明治35年4代正次郎を襲名した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杵屋正次郎」の解説

杵屋正次郎(3代) きねや-しょうじろう

1827-1896 江戸後期-明治時代の長唄三味線方。
文政10年生まれ。2代正次郎の門弟杵屋正三郎の子。安政2年3代正次郎をつぐ。2代勝三郎,3代勘五郎(11代六左衛門)とともに作曲の名人として知られ,「岸の柳」「鏡獅子」など名曲を多数のこす。明治11年ごろから正治郎とあらためた。明治29年10月31日死去。70歳。前名は2代彦次郎。

杵屋正次郎(初代) きねや-しょうじろう

?-1803 江戸時代中期-後期の長唄三味線方。
2代杵屋六三郎の門弟。江戸浅草奥山で独楽(こま)回しの三味線をひいていたのをみいだされたという。安永4年立三味線。享和3年11月3日死去。作品に「木賊刈(とくさかり)」「羽根の禿(かむろ)」など。

杵屋正次郎(2代) きねや-しょうじろう

?-1820 江戸時代後期の長唄三味線方。
初代正次郎の実子とも,門弟ともいう。文化元年立三味線となり,翌年2代正次郎をついだ。文政3年9月1日死去。前名は彦次郎。作品に「汐汲(しおくみ)」「舌出三番叟(しただしさんばそう)」など。

杵屋正次郎(5代) きねや-しょうじろう

1917-1988 昭和時代の長唄三味線方。
大正6年10月17日生まれ。3代杵屋栄蔵の子。昭和34年正次郎名跡を復活襲名。43年4代栄蔵をついだ。昭和63年6月20日死去。70歳。東京出身。本名は小田貞夫。

杵屋正次郎(4代) きねや-しょうじろう

1870-1940 明治時代の長唄三味線方。
明治3年生まれ。3代杵屋正次郎の長男。前名は3代彦次郎。明治35年4代正次郎を襲名。若年で芝居を引退した。昭和15年2月12日死去。71歳。本名は大橋新太郎。

杵屋正次郎(6代) きねや-しょうじろう

1935-2011 昭和後期-平成時代の長唄三味線方。
昭和10年1月25日生まれ。56年6代杵屋正次郎を襲名。平成23年7月1日死去。76歳。本名は古茂田定雄。前名は栄慎次。

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世界大百科事典(旧版)内の杵屋正次郎の言及

【鬼次拍子舞】より

…1793年(寛政5)江戸河原崎座初演。作詞・作曲初世杵屋(きねや)正次郎。長田太郎を大谷鬼次,松の前を岩井喜代太郎。…

【手習子】より

…作詞増山金八。作曲初世杵屋(きねや)正次郎。振付2世西川扇蔵。…

【仲蔵狂乱】より

…本名題《狂乱雲井袖(きようらんくもいのそで)》。作詞初世瀬川如皐,作曲初世杵屋正次郎,振付2世西川扇蔵。顔見世狂言《重重人重小町桜(じゆうにひとえこまちざくら)》の一番目大詰に作られ,小野小町の難を救うため,上使の前で偽の狂乱を見せる小町の父良実を舞踊化したもの。…

【羽根の禿】より

…作詞者不詳。作曲初世杵屋正次郎。振付2世西川扇蔵。…

【春駒】より

…作詞増山金八。作曲初世杵屋(きねや)正次郎。振付中村伝次郎。…

【汐汲】より

…作詞2世桜田治助。作曲2世杵屋正次郎。能の《松風》から取材。…

【舌出三番叟】より

…作詞2世桜田治助。作曲2世杵屋正次郎,伊藤東三郎。現行は千歳と三番叟の踊り。…

【船弁慶】より

…作詞河竹黙阿弥。作曲2世杵屋正次郎。振付初世花柳寿輔。…

※「杵屋正次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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