林語堂(読み)リンゴドウ

デジタル大辞泉 「林語堂」の意味・読み・例文・類語

りん‐ごどう〔‐ゴダウ〕【林語堂】

[1895~1976]中国の作家・言語学者。福建省竜渓の人。本名は和楽、のち玉堂ぎょくどうさらに語堂と改名。欧米に留学後、北京大学などの教授。雑誌「人間世」「論語」などを主宰ユーモア小品文を提唱。著「わが国土・わが国民」「北京好日」「剪払せんふつ集」など。リン=ユイタン。

リン‐ユイタン【林語堂】

りんごどう(林語堂)

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精選版 日本国語大辞典 「林語堂」の意味・読み・例文・類語

りん‐ごどう‥ゴダウ【林語堂】

  1. 中国の作家、言語学者。福建省龍渓の人。欧米の大学に学び、帰国後、北京大学、厦門大学教授。雑誌「人間世」「論語」などを主宰、ユーモア小品が有名。著に「北京好日」など。(一八九五‐一九七六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「林語堂」の意味・わかりやすい解説

林語堂
りんごどう / リンユイタン
(1895―1976)

中国の作家、言語学者。初め林和楽といい、のち玉堂、さらに語堂と改名。福建省竜渓出身。上海(シャンハイ)の聖ジョーンズ大学卒業後、アメリカ、ドイツに留学、ハーバードライプツィヒ大学で言語学を学び、哲学博士の学位を得た。1923年帰国後、北京(ペキン)大学英文科教授となり、一方魯迅(ろじん)らの『語絲(ごし)』に散文、論文多数を発表した。1926年厦門(アモイ)大学教授を経て、北伐期には武漢政府外交部で外交秘書を務めた。1930年代には『論語』『人間世』『宇宙風』などの雑誌を編集して「閑適とユーモア」の小品文を提唱、一方、蔡元培(さいげんばい)らの民権保障同盟に参加するなど、左翼とはある距離を置いたリベラル知識人の立場をとった。1936年アメリカに渡り、その前年アメリカで出版した『わが国土・わが国民』(1935)をはじめ、中国文明を欧米人に説明する一連の仕事をした。抗日戦中に発表した小説『北京好日(こうじつ)』(1939)、『嵐(あらし)の中の木の葉』(1941)も、抗日戦の意義を欧米に訴える性格が強い。思想的には北京、武漢時代にもっとも急進的だったが、のちしだいに保守的色彩を強めた。1976年3月26日香港(ホンコン)で死去。著作は多数に上るが、前記のほか、北京時代の詩文集『剪払集(せんふつしゅう)』(1928)、1930年代の評論集『大荒集』(1934)などがあり、また晩年には『当代漢英詞典』の編纂(へんさん)もしている。

[丸山 昇 2018年8月21日]

『佐藤亮一訳『北京好日』上下(1972・芙蓉書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「林語堂」の意味・わかりやすい解説

林語堂 (りんごどう)
Lín Yǔ táng
生没年:1895-1976

中国の作家,英語学者。原名は玉堂。福建省竜渓の人。牧師の家に生まれ,ハーバード,ドイツのイェーナ,ライプチヒの各大学に学ぶ。1920年代,北京大学等の教壇に立つかたわら〈語糸(ごし)〉派の急進的論客の一人となったが,30年代に入ると,《論語》以下の小品文雑誌を次々に出して幽黙(ユーモア)の提唱に中間派の活路を求め,36年ニューヨークに移住。以後ぼう大な英文による小説,エッセーを通じて,欧米人に近代中国の動乱や抗日戦争を生き抜く同胞の姿,また中国文明の生活的特質などを語り続けた。66年以降台湾に定住。著書は中文《剪払集》(1924),英文《Moment in Peking》(1937,邦訳《北京好日》),《The Importance of Life》(1940,邦訳《生活の発見》)ほか。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「林語堂」の意味・わかりやすい解説

林語堂
りんごどう
Lin Yu-tang

[生]光緒21 (1895).10.10. 福建,竜渓
[没]1976.3.26. ホンコン
中国の文学者。福建省竜渓の人。原名,玉堂。アメリカ合衆国,ドイツに留学,ハーバード大学,ライプチヒ大学で言語学を修め,1923年帰国。北京大学教授となり,魯迅周作人らが創刊した雑誌『語絲』に参加した。1926年軍閥政府の圧迫を受けて北京を去り,翌 1927年武漢政府に参加。武漢政府崩壊後は上海に逃れ,雑誌『論語』『人間世』などを創刊,小品文を提唱し,その流行をもたらした。その後しだいに反共に傾き,また欧米に英文で中国文化を紹介,1939年にはアメリカに渡り,以後ほぼニューヨークに定住するようになった。多くの中国語,英語による論文,随筆のほか,小説『北京好日』(1939),『嵐の中の木の葉』(1941),『朱ぬりの門』(1953)などの著がある。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「林語堂」の解説

林語堂(りんごどう)
Lin Yutang

1895~1976

中国現代の作家,評論家。福建省竜渓の人。牧師である父の影響のもと,幼少より西洋教育を受け,アメリカ,フランス,ドイツに留学して独自の文明批評を展開。1923年帰国後北京大学で英語や言語学を教える。初め魯迅(ろじん)周作人らと政治評論活動を行うが,のち風刺とユーモアの小品文学を多く発表。中国共産党には批判的で,36年にアメリカに移住。以後長期にわたる海外生活を送る。35年にアメリカで出版された『我国土,我国民』は外国人向け中国文明論であり,ベストセラーになった。

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百科事典マイペディア 「林語堂」の意味・わかりやすい解説

林語堂【りんごどう】

中国の作家,言語学者。福建省の生れ。1920年代前半には魯迅(ろじん)らと反軍閥の論を張り活躍。やがて雑誌《論語》《人間》などにユーモア文,小品を発表した。欧米に対する中国文明紹介の書として《我が国土,我が国民》,日本の侵略を批判して書かれた小説《北京好日》など,おもに外国人読者を対象とした文筆活動を行った。香港で死去。

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367日誕生日大事典 「林語堂」の解説

林 語堂 (りん ごどう)

生年月日:1895年10月10日
中国の文学者
1976年没

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