中国の作家、言語学者。初め林和楽といい、のち玉堂、さらに語堂と改名。福建省竜渓出身。上海(シャンハイ)の聖ジョーンズ大学卒業後、アメリカ、ドイツに留学、ハーバード、ライプツィヒ大学で言語学を学び、哲学博士の学位を得た。1923年帰国後、北京(ペキン)大学英文科教授となり、一方魯迅(ろじん)らの『語絲(ごし)』に散文、論文多数を発表した。1926年厦門(アモイ)大学教授を経て、北伐期には武漢政府外交部で外交秘書を務めた。1930年代には『論語』『人間世』『宇宙風』などの雑誌を編集して「閑適とユーモア」の小品文を提唱、一方、蔡元培(さいげんばい)らの民権保障同盟に参加するなど、左翼とはある距離を置いたリベラル知識人の立場をとった。1936年アメリカに渡り、その前年アメリカで出版した『わが国土・わが国民』(1935)をはじめ、中国文明を欧米人に説明する一連の仕事をした。抗日戦中に発表した小説『北京好日(こうじつ)』(1939)、『嵐(あらし)の中の木の葉』(1941)も、抗日戦の意義を欧米に訴える性格が強い。思想的には北京、武漢時代にもっとも急進的だったが、のちしだいに保守的色彩を強めた。1976年3月26日香港(ホンコン)で死去。著作は多数に上るが、前記のほか、北京時代の詩文集『剪払集(せんふつしゅう)』(1928)、1930年代の評論集『大荒集』(1934)などがあり、また晩年には『当代漢英詞典』の編纂(へんさん)もしている。
[丸山 昇 2018年8月21日]
『佐藤亮一訳『北京好日』上下(1972・芙蓉書房)』
中国の作家,英語学者。原名は玉堂。福建省竜渓の人。牧師の家に生まれ,ハーバード,ドイツのイェーナ,ライプチヒの各大学に学ぶ。1920年代,北京大学等の教壇に立つかたわら〈語糸(ごし)〉派の急進的論客の一人となったが,30年代に入ると,《論語》以下の小品文雑誌を次々に出して幽黙(ユーモア)の提唱に中間派の活路を求め,36年ニューヨークに移住。以後ぼう大な英文による小説,エッセーを通じて,欧米人に近代中国の動乱や抗日戦争を生き抜く同胞の姿,また中国文明の生活的特質などを語り続けた。66年以降台湾に定住。著書は中文《剪払集》(1924),英文《Moment in Peking》(1937,邦訳《北京好日》),《The Importance of Life》(1940,邦訳《生活の発見》)ほか。
執筆者:木山 英雄
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1895~1976
中国現代の作家,評論家。福建省竜渓の人。牧師である父の影響のもと,幼少より西洋教育を受け,アメリカ,フランス,ドイツに留学して独自の文明批評を展開。1923年帰国後北京大学で英語や言語学を教える。初め魯迅(ろじん)や周作人らと政治評論活動を行うが,のち風刺とユーモアの小品文学を多く発表。中国共産党には批判的で,36年にアメリカに移住。以後長期にわたる海外生活を送る。35年にアメリカで出版された『我国土,我国民』は外国人向け中国文明論であり,ベストセラーになった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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