周作人(読み)しゅうさくじん(英語表記)Zhōu Zuò rén

精選版 日本国語大辞典 「周作人」の意味・読み・例文・類語

しゅう‐さくじん シウ‥【周作人】

中国の翻訳家、随筆家。名は槐寿。魯迅周樹人)の弟。日本に留学。一九一一年の革命のときに帰国し、北京大学東方文学(日本文学)系主任教授などを歴任。第二次世界大戦後、日本に協力した罪で投獄されたこともある。著に「雨天の書」「知堂回想録」「欧州文学史」など。(一八八五‐一九六七

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デジタル大辞泉 「周作人」の意味・読み・例文・類語

しゅう‐さくじん〔シウ‐〕【周作人】

[1885~1967]中国の文学者・小説家。浙江せっこう省紹興の人。魯迅ろじんの弟。筆名は、遐寿かじゅ・啓明・知堂など。日本に留学し、西洋文学を研究。帰国後、評論活動を展開し、人民共和国成立後は主に翻訳に従事。著「雨天の書」「瓜豆かとう集」「魯迅の故家」など。チョウ=ツオレン。

チョウ‐ツオレン【周作人】

しゅうさくじん(周作人)

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改訂新版 世界大百科事典 「周作人」の意味・わかりやすい解説

周作人 (しゅうさくじん)
Zhōu Zuò rén
生没年:1885-1967

中国の散文作家。原名は櫆寿,またの名が作人。みずから起孟または啓明と号し字を兼ねる。筆名は仲密,豈明,知堂,遐寿など多数。浙江省紹興の人。1906年兄樹人(魯迅)に続いて日本に留学,立教大学で古典ギリシア語と英文学を学ぶ。この間民族革命運動の潮流の中で兄と東欧弱小民族の文学の紹介(《域外小説集》)に努めたが,本格的に過ぎて反響がなかった。貧しい日本娘羽太(はぶと)信子と恋愛結婚,辛亥革命直前に帰国。郷里の教育界で活動ののち,17年北京大学に迎えられ,おりからの文学革命運動に呼応して,〈人の文学〉〈平民文学〉などの評論で,日本の白樺派風の清新な個人主義ヒューマニズムを鼓吹,同時に日本語,ギリシア語,英語を通じて古今の海外文学を精力的に紹介した。作家としては早くから自由な小品散文の中国独自の可能性を洞察,全生涯を通じて《雨天の書》以下約20冊を数えるうっそうとした随筆群を残した。それは文芸を〈生活の芸術〉とすることによって,偽善的な禁欲主義と節制なき欲望耽溺とが相表裏するという固有文明の悪をつぶさにはらおうと志した,彼の思想的な選択と無関係でない。こうして初期の無政府主義,社会主義,世界人類主義等々を主義の形では次々に捨て,さらに北伐国民革命の分裂,変質前後からは反時代的な隠逸の色をも深くしていきながら,生活意識や趣味の隅々にわたって民族文化の〈再生〉を求め続けたところに,彼なりの一貫性を認めることができる。そこで,彼が古典ギリシアの現世主義的な〈霊肉一致〉の人間観と並んで日本文化の〈簡素〉〈自然〉〈人情美〉を愛し,とくに江戸文芸に深入りしたのも,上のような伝統批判の大きな構想にかかわる事実であった。そういう文化的〈親日派〉の態度は,当然,日本の軍国主義化に鋭い反応を起こし,〈支那浪人〉や〈支那通〉への執拗な批判や一連の苦渋を極めた日本文化論が書かれることとなったが,全面戦争開始後,不幸にも日本軍占領下の北京に留まったあげく,協力政権の閣僚職に就くところへ追い込まれ,このため日本降伏後に国民政府の手で〈漢奸裁判〉にかけられ,南京の獄に投じられた。共産党の勝利が彼の釈放をもたらし,人民共和国では魯迅に関する著述,日本,ギリシア古典の翻訳,香港で発表された自伝等を残したが,政治ならびに道義上の汚名はついにそそぐことができなかった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「周作人」の意味・わかりやすい解説

周作人
しゅうさくじん / チョウツオレン
(1885―1967)

中国の散文作家。啓明、知堂などの別号のほか多くの筆名がある。浙江(せっこう/チョーチヤン)省紹興(しょうこう/シャオシン)の人。兄魯迅(ろじんルーシュン)に続いて1906年(明治39)日本に留学、立教大学に学ぶ。この間兄弟で翻訳小説集『域外小説集』2冊を出した。辛亥(しんがい)革命(1911)直後に帰国、のち北京(ペキン)大学に迎えられ、おりからの文学革命運動に呼応して「人の文学」「思想革命」などの評論により、言文一致を標榜(ひょうぼう)する運動に個人主義的ヒューマニズムの内容を付与した。同時に、日・英・ギリシア3か国語を通じて、古今の海外文学を精力的に紹介、その質実な翻訳文体は口語による文章語の形成にも大きな貢献をした。作家としては早くから自由な小品散文の中国独自の可能性を洞察、全生涯にわたって、『雨天の書』(1925)以下20余冊の鬱蒼(うっそう)とした随筆群を遺(のこ)した。それらは近代の合理主義に洗われた伝統的な文人筆記の最後の高峰の観を呈している。20年代中ごろから、激烈に展開する革命運動との間に距離を生じ、しだいに反時代的な隠逸の風を深める形でなお初心に執したが、日中戦争期間中、不幸にして北京の対日協力政権に参与、戦後国民政府の手で投獄された。

 同政権崩壊前夜(1949)に釈放され、人民共和国ではおもに『魯迅の故家』(1953)のような魯迅関係の著述と日本文学の翻訳に従事、香港(ホンコン)からは自伝『知堂回想録』(1970)などが出ている。

[木山英雄]

『松枝茂夫・今村与志雄訳『魯迅の故家』(1955・筑摩書房)』『木山英雄編訳『日本文化を語る』(1973・筑摩書房)』『木山英雄著『北京苦住庵記くじゅうあんき―日中戦争時代の周作人』(1978・筑摩書房)』『劉岸偉著『東洋人の悲哀―周作人と日本―』(1991・河出書房新社)』『松枝茂夫訳『周作人随筆』(1996・冨山房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「周作人」の意味・わかりやすい解説

周作人
しゅうさくじん
Zhou Zuo-ren

[生]光緒11 (1885).1.16. 浙江,紹興
[没]1967.5.6. 北京
中国の随筆家,翻訳家。浙江省紹興の人。筆名,独応,啓明,周遐寿など。光緒32(1906)年兄の魯迅とともに渡日,文学雑誌の発行を試みて失敗,東ヨーロッパ系の文学を中心に共訳した『域外小説集』を出版した。辛亥革命後帰国,1917年北京大学教授となり,雑誌『新青年』により『人間的文学』(1918)で人道主義の文学を主張,与謝野晶子の『貞操論』を訳して女性解放を唱え,武者小路実篤の「新しき村」運動を紹介した。1924年魯迅と語絲社を結成(→『語絲』),随筆や評論,日本文学,ギリシア文学の翻訳などに多彩な活躍を続けた。また 1930年頃から流行した「小品文運動」に理論的根拠を与えるとともにみずからも筆をとった。抗日戦争中は汪精衛の親日政権に協力したため戦後投獄されたが,のち釈放され,周遐寿の名で『魯迅の故家』(1953),『魯迅小説のなかの人物』(1954)などを発表するかたわら,日本の狂言や『枕草子』『古事記』などを翻訳した。ほかに『自己の園』(1923),『中国新文学の源流』(1934),『秉燭談(へいしょくだん)』(1940),『薬堂語録』(1941)など。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「周作人」の解説

周作人(しゅうさくじん)
Zhou Zuoren

1885~1967

中国民国時代の文学者。浙江(せっこう)省紹興の人。魯迅(ろじん)の次弟。1906年魯迅とともに日本に留学。辛亥(しんがい)革命で帰国後,北京大学の教授となる。文学革命に参加し,『新青年』誌上で活躍した。旧道徳を批判し,外国文学の翻訳や紹介に努めた。また民俗学の分野でも先駆的な業績を残した。23年頃より魯迅と不仲になった。日中戦争では日本に協力した「漢奸(かんかん)」とされて投獄。中華人民共和国の成立で釈放された。その後は日本古典文学やギリシア文学の翻訳に従事した。

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百科事典マイペディア 「周作人」の意味・わかりやすい解説

周作人【しゅうさくじん】

中国の文学者。魯迅の実弟。初期には魯迅とともに東欧・日本等の文学の翻訳をし,また文学革命当時は人道主義文学を提唱した。やがて魯迅と別れ,次第に文人的散文の世界に入った。抗日戦中は北京で対日協力の一翼をにない,戦後は戦犯として下獄,人民共和国建国後釈放されて魯迅をめぐる回想記の執筆,日本文学・ギリシア古典の翻訳等に従事した。
→関連項目許地山文学研究会魯迅

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「周作人」の解説

周作人 しゅう-さくじん

1885-1967 中国の文学者。
光緒11年1月16日生まれ。魯迅(ろじん)の弟。明治39年(1906)日本に留学し,立大で英文学,ギリシャ語をまなぶ。帰国後,北京大教授をつとめ,文学革命運動に呼応して海外の作品を紹介。日中戦争中に日本に協力したかどで,一時投獄された。1967年5月7日死去。83歳。浙江(せっこう)省出身。南京水師学堂卒。字(あざな)は啓明。筆名は仲密,知堂など。中国語読みはチョウ-ツオレン。著作に「雨天の書」「魯迅の故家」など。

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世界大百科事典(旧版)内の周作人の言及

【国故整理運動】より

…第1は,胡適や梁啓超の《先秦政治思想史》に代表される先秦の諸子百家および仏教などについての思想史的研究。第2は,おなじく胡適による《西遊記》《水滸伝》《紅楼夢》など元・明・清の古典小説の整理考証,また周作人らの北京大学歌謡研究会がおこなった民間に伝わる故事伝説歌謡などフォークロアの収集といった文学的研究。第3は,銭玄同や《古史弁》全7冊の著者顧頡剛(こけつごう)ら疑古派と称された人々によってなされた,伝統的歴史に対する批判精神にあふれる実証的な歴史研究。…

【随筆】より

…ただ明代末期に流行した〈小品文〉(随想類の短い文章)のなかには,まさにエッセーと呼ぶにふさわしい上質の文章が独自な文体で定着しており,中国文学史に新しいページを拓いている。この伝統と近代西欧の教養とを一つに体現した随筆家はただ周作人(しゆうさくじん)だけであった。エッセー【入矢 義高】。…

※「周作人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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