日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳原前光」の意味・わかりやすい解説
柳原前光
やなぎわらさきみつ
(1850―1894)
公家。明治前期の外交官。伯爵。幕末に大納言・議奏を務めた光愛(みつなる)の子。1868年(明治1)に戊辰戦争が起きると東海道先鋒副総督として甲斐の幕領や江戸城の接収にあたり、甲斐鎮撫使(ちんぶし)として10月まで甲斐を統治する。1869年より外務省に出仕。朝鮮外交で強硬論を主張する。外務大丞(だいじょう)として清国との交渉にあたり、1871年に外務卿伊達宗城(だてむねなり)の副使として清国に派遣され、日清修好条規の締結を主導した。1873年にオランダ兼ベルギー代理公使。1874年に特命全権公使として大久保利通とともに北京に赴き、台湾出兵の処理にあたる。西南戦争の際は勅使として黒田清隆とともに鹿児島に派遣され、島津久光を慰撫する。その後、元老院議官・駐露公使・賞勲局総裁・元老院議長・枢密顧問官・宮中顧問官を歴任し、女系の皇位継承を排除する皇室典範を起案した。西園寺公望(さいおんじきんもち)とともに公家出身の逸材と期待されたが1891年より病臥し、1894年に45歳で没した。妹愛子(なるこ)は大正天皇の生母。歌人の柳原白蓮(びゃくれん)は次女である。
[落合弘樹]
『長井純市著「柳原前光と明治国家形成」(福地惇・佐々木隆編『明治日本の政治家群像』所収・1993・吉川弘文館)』▽『島善高著『近代皇室制度の形成』(1994・成文堂)』