新撰 芸能人物事典 明治~平成 「柳家紫朝」の解説
柳家 紫朝(2代目)
ヤナギヤ シチョウ
- 職業
- 三味線漫談家
- 本名
- 渡辺 実(ワタナベ ミノル)
- 別名
- 前名=鶴賀 喜代太夫(4代目),桂 二三夫(カツラ フミオ)
- 生年月日
- 昭和4年 11月3日
- 出生地
- 東京市 日本橋区越前堀(東京都 中央区新川町)
- 経歴
- 祖父は新内節の3代目鶴賀喜代太夫。虚弱児で、体が丈夫になるようにと祖父より新内を習わされ、祖父の没後は4代目喜代太夫を襲名。その後、知遇を得た8代目桂文楽の世話で落語協会に入り、昭和30年三味線漫談“粋曲”の桂二三夫を名乗り寄席出演。44年明治・大正期の寄席で新内名人といわれた柳家紫朝の2代目を襲名。本格の新内を下地にした都々逸漫談で人気を博した。55年くも膜下出血で倒れ左半身まひとなるが、芸への執念でリハビリに専念。バチの代わりに“ツメ”を持ち、三味線の音色も再現、60年東京・国立演芸場で5年ぶりの高座復帰を果たす。平成16年CD「粋曲」を発売した。
- 没年月日
- 平成22年 4月26日 (2010年)
- 家族
- 祖父=鶴賀 喜代太夫(3代目)
- 伝記
- 長生きも芸のうち―岡本文弥百歳 森 まゆみ 著(発行元 筑摩書房 ’98発行)
柳家 紫朝(初代)
ヤナギヤ シチョウ
- 職業
- 新内節太夫 寄席音曲師
- 本名
- 尾山 亀次郎
- 別名
- 初名=鶴賀 花蝶,前名=富士松 紫玉,富士松 佐交,柳家 柴朝(ヤナギヤ シチョウ),後名=富士松 紫朝(2代目)(フジマツ シチョウ)
- 生年月日
- 明治6年 9月9日
- 出生地
- 富山県
- 経歴
- 幼くして失明、12歳で東京の鶴賀花太夫に弟子入りし、花蝶を名乗る。後に一時、久留米に行って初代富士松紫朝に学び、富士松紫玉の名を与えられる。のち佐交。鶴賀、富士松両方の姓を持ったが、明治32年ごろ横浜の寄席に出演中、旧師花太夫の異議により富士松姓をやめる。翌春、鶴賀に籍を残したが、寄席の柳派に加盟、柳家柴朝と改名。初代紫朝の家族の了解を得られなかったため、「柴」の字をあてた。のちに許されて紫朝と改名。今日の富士松派ではこの人を2代目富士松紫朝とする。初代譲りの渋い芸が人気を博し、「正夢」などを得意とした。
- 没年月日
- 大正7年 5月12日 (1918年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報