柳沢寺(読み)りゆうたくじ

日本歴史地名大系 「柳沢寺」の解説

柳沢寺
りゆうたくじ

[現在地名]榛東村山子田

山子田やまこだの集落西方にあり、船尾山等覚院と号し天台宗本尊千手観音近世、山子田村内に三〇石の寺領があった(元禄郷帳)。観音堂と通称される本堂のほかに客殿・鐘楼仁王門表門などを配す。かつて西北船尾ふなお山中にあり兵火に遭って焼亡したと赤木文庫本「神道集」に記される船尾寺という大寺系譜に連なる寺と当地では伝えられており、後世、この「神道集」の影響下に成立した縁起によれば、弘仁年間(八一〇―八二四)最澄が東国布教の際、群馬くるま太輔満行の協力を得て船尾山の東南麓堂の入どうのいりに船尾山東覚院楊沢ようたく寺を建立したのが始まりという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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