柳町村(読み)やなぎまちむら

日本歴史地名大系 「柳町村」の解説

柳町村
やなぎまちむら

[現在地名]六戸町柳町

東流する奥入瀬おいらせ川の右岸平地に位置し、西を後藤ごとう川が北流し、村の北で奥入瀬川に合流する。北東鶴喰つるばみ村、南は小平こだいら村、西は相坂おうさか村・伝法寺でんぼうじ(現十和田市)などに接する。

正保四年(一六四七)の南部領内総絵図にはみえないので、鶴喰村に含まれていたのであろうか。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」では伝法寺村の項に柳町村として六七・六石余とみえ、小平・鶴喰両村とともに「此三村高同民戸入于伝法寺村」とあるから、伝法寺村の支村のように扱われている。家数四。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では独立村とされ、家数一とある。


柳町村
やなぎまちむら

[現在地名]大和郡山市柳町

慶長郷帳にみる村高は三六〇・五三石で幕府領(代官大久保長安)。元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領となり廃藩置県に至る。その後、郡山城下の発展により、同村領内に外町として東岡ひがしおか町・西岡にしおか(新木村領にも入込む)柳裏やなぎうら町・外矢田そとやた町・南大工みなみだいく町・そと五丁目などが形成され、また侍屋敷(三町九畝八歩)洞泉寺とうせんじ町が設けられた。そのため「大和志料」所収の元禄郷帳にみえる村高は二割半無地高増政策にかかわらず三八六・四五三石(うち洞泉寺屋敷三・四石)にすぎなかった。

享保九年(一七二四)和州御領郷鑑では反別二二町七反九畝歩、うち侍屋敷(三町九畝八歩、一九・八〇六石)洞泉寺町(洞泉寺寄付地二〇石、洞泉寺門前除地は三・四石、家数二、人数一四うち男七・女七、商人は紙荒物売一)大職冠たいしよくかん(家数六四うち持屋四二・借家二二、人数二八〇うち男一三八・女一四一・山伏一、医師五うち針医一・本道三・外道一、職人は大工・ぬし職各一、商人六うちとうふ屋二・酒屋四)大坂口おおさかぐち(家数一一五うち本百姓六三・借家五二、人数四二八うち男二〇七・女二二一、医師は外科二、職人五うち大工二・かじや一・ぬしや一・不明一、商人一八うち米屋五・小間物や二・八百や二・請酒六・とうふや三)のほか除地に仲仙寺ちゆうせんじと御林二ヵ所があった。


柳町村
やなぎまちむら

[現在地名]野々市町柳町

手取川扇状地の扇央部に位置し、東は蓮花寺れんげじ村、田中たなか(現松任市)集落は東のごう用水の分流西にし川と西の中村なかむら用水の分流ひがし川の間にある。正保郷帳では蓮花寺村と一括して高付される。寛文一〇年(一六七〇)の村御印による当村の高二〇六石、免五ツ七歩(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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