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足利学校 あしかががっこう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

足利学校
あしかががっこう

学校,文庫。創立の時期や事情については諸説があり,地方豪族による創建,特に足利義兼によるという説が最も有力。鎌倉時代初期にはすでにできていたであろうとされるが,永享年間 (1429~41) に上杉憲実によって再興され,学校としての面目をそなえた。上杉氏3代のあとは,長尾氏の庇護を受け,初代快元以下代々の庠主 (校長) も力を尽し,僧俗の学ぶものが多く,戦国の世にも読書の声が絶えなかった。特に7世の九華の頃に全盛をきわめ,当時来朝した外国人の注意をひいた。江戸時代以後,一般の学問興隆につれ,学校としてよりも文庫として注目され,明治初年に校務を廃して 1915年図書館となった。現在,足利市立足利学校遺跡図書館として栃木県足利市昌平町にあり,南宋時代の古書など国宝4点を所蔵。

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デジタル大辞泉の解説

あしかが‐がっこう〔‐ガクカウ〕【足利学校】

足利市昌平町にあった学問所。創設者には諸説がある。室町期に上杉憲実(うえすぎのりざね)が再興。武士・僧侶・医師に儒書・易書・医書などを講述した。天文~慶長・元和(1532~1624)ごろが最盛期で「坂東の学校」と称され、明治初年まで存続した。現在、敷地内に足利学校遺跡図書館があり、宋版など貴重な典籍群を所蔵。

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百科事典マイペディアの解説

足利学校【あしかががっこう】

現在の栃木県足利市昌平町にあった中世の学校施設。創立者は諸説あるが足利義兼説が有力。中興とされる上杉憲実(のりざね)が学則を定め,学校として整備した。以後,上杉・北条・徳川氏の保護を受けて継続,1872年校務を廃した。
→関連項目足利[市]坂東伏見版

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世界大百科事典 第2版の解説

あしかががっこう【足利学校】

室町初期に下野国足利庄に設立された漢学研修の施設。創建については諸説がある。中興した関東管領上杉憲実が永享年間(1429‐41)に鎌倉から招いた快元を初代庠主(しようしゆ)(校長)とする。以下2世天矣,3世南計(南斗とも),4世九天,5世東井子好,6世文伯,7世玉崗瑞璵(号九華),8世古月宗銀,9世閑室元佶(号三要),10世竜派禅珠(号寒松)と続く。7世九華のときが学校の最盛期で小田原後北条氏の厚い保護を受けた。

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大辞林 第三版の解説

あしかががっこう【足利学校】

足利市昌平町にあった学校施設。室町初期の創設といわれる。永享年間(1429~1441)上杉憲実のりざねが鎌倉円覚寺より快元を招いて整備し、以後上杉・後北条・徳川各氏の保護を得て1872年(明治5)まで存続。易学を中心とした儒学や兵学・医学などが講述された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

足利学校
あしかががっこう

下野(しもつけ)国足利荘(しょう)(栃木県足利市)に設けられた学校施設。その創設については、平安初期の小野篁(おののたかむら)の創立説、鎌倉初期に鑁阿寺(ばんなじ)を建立した足利義兼(よしかね)の創建説、あるいは室町初期に上杉憲実(のりざね)によって開かれたという説など、諸説あって定説をみないが、現存する資料からは、永享(えいきょう)(1429~1441)以前における明確な存在を知ることはむずかしい。漢学研修のための施設が、名実ともに学校としての形態を整えたのは、永享年間の初期、関東管領(かんれい)上杉憲実が易(えき)学の大家快元和尚(かいげんおしょう)を鎌倉円覚寺(えんがくじ)から招いて庠主(しょうしゅ)(校長)とし、1439年(永享11)には、当時の貴重書であった宋(そう)版の経典を学校に寄進したときであろう。のち、憲忠(のりただ)も父に倣い宋刊本の寄進を行い、ここに有名な足利の宋版『五経註疏(ごきょうちゅうしょ)』がそろった。すなわち『周易註疏(しゅうえきちゅうしょ)』『尚書正義(しょうしょせいぎ)』『毛詩註疏(もうしちゅうしょ)』『礼記正義(らいきせいぎ) 』』『春秋左伝註疏(しゅんじゅうさでんちゅうしょ)』である。近年、憲実寄進の宋版『唐書(とうじょ)』が発見、寄付されたが、これらはすべて「金沢文庫本」と推定され、いずれも国宝あるいは国の重要文化財として指定されている。
 学校では易学を中心に漢籍類、兵法書などが講ぜられ、第7代庠主九華(きゅうか)(1500―1578)のときには、北条氏政(うじまさ)による金沢文庫本の宋版『文選(もんぜん)』(国宝)の寄進と援助により学校は最盛期を迎えた。その後、徳川氏の保護を得て継続されたが、1872年(明治5)校務を廃し、学校は蔵書とともに栃木県に引き継がれた。1876年足利町に返却、1903年(明治36)足利学校遺蹟(いせき)図書館が開かれ現在に至っている。国指定史跡。[前田元重]
『川瀬一馬著『足利学校の研究』(1948・講談社) ▽結城陸郎著『金沢文庫と足利学校』(1959・至文堂・日本歴史新書)』

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世界大百科事典内の足利学校の言及

【快元】より

…室町中期の臨済宗僧。もと鎌倉円覚寺の僧で,永享年中(1429‐41)に上杉憲実に招請されて足利学校の初代庠主(しようしゆ)(校長)となる。このことによって名を知られるが,出自,経歴等ほとんど不明である。…

【学校】より

…しかし,統一学校運動が推進され,また政府も改革案作成に努力したにもかかわらず,イギリス,フランスなどではエリート養成のための伝統的中等学校,さらには初等学校さえ,第2次大戦後まで温存され続けたのである。
【日本の学校】

[近世以前の学校]
 日本で初めて〈学校〉の名を冠した教育機関は,栃木の足利学校だが,その起源は中世とされているものの明確ではない。15世紀,永享年間(1429‐41)に校規が整備されて学校として再興され,16世紀にはF.ザビエルやL.フロイスら宣教師により総合大学としてヨーロッパにも紹介されるほど盛んとなった。…

【図書館】より

…やがてわれわれはより便利な漢和字書《和名類聚抄(わみようるいじゆしよう)》をもつが,これも一種の類書であった。
[中世,近世]
 下っては,金沢(かねさわ)文庫足利学校が日本図書館史上重要である。金沢文庫は13世紀後半,金沢実時によって創設された文庫で,とりわけ3代貞顕の集書努力により大いに充実した。…

【文庫】より

…わずかに平安時代末期から京都冷泉(れいぜい)家に伝わった1200件余,約1万点にのぼる古文書類が伝存され,冷泉家時雨亭文庫として公開されている。鎌倉時代に入ると文庫を持つことができるのは武士階級となり,とくに北条実時から3代を費やして収集された金沢文庫,足利氏の創建した足利学校の文庫などが著名である。室町時代には,明との交易により多数の漢籍が輸入され,とくに東福寺の普門院書庫,同じく海蔵院文庫などが充実していた。…

※「足利学校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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