桂米団治(読み)カツラ ヨネダンジ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「桂米団治」の解説

桂 米団治(4代目)
カツラ ヨネダンジ


職業
落語家

本名
中浜 賢三

別名
前名=桂 米之助,筆名=中浜 静甫

生年月日
明治29年 9月3日

出生地
大阪府 大阪市

経歴
大阪・道頓堀に生まれ、幼い頃にキリスト教洗礼を受ける。明治45年3代目桂米団治に入門桂米之助を名乗り、大正2年初高座。7年二ツ目。11年吉本興業に入るが、12年脱退。以後、しばらく芸界を離れた。昭和5年桂小春団治と桃源座を組織したが、半年ほどで再び芸界を引退。11年5代目笑福亭松鶴の楽語荘に参加、同荘主催の落語会に出演する傍ら、中浜静甫の筆名で雑誌「上方はなし」で健筆ふるい、編集にも従事。13年代書人の資格を取得して自宅で代書屋を開業、その後、この経験を生かして昭和を代表する新作落語「代書屋」を作った。18年4代目桂米団治を襲名門下に3代目桂米朝らがいる。第5回上方演芸の殿堂入り。

没年月日
昭和26年 10月23日 (1951年)

伝記
桂米朝座談〈1〉 桂 米朝 著,豊田 善敬,戸田 学 編(発行元 岩波書店 ’05発行)


桂 米団治(3代目)
カツラ ヨネダンジ


職業
落語家

本名
早田 福松

別名
前名=桂 米歌子,桂 米之助,桂 米朝(2代目)

生年月日
明治3年

出生地
大阪・堂島

経歴
2代目桂米団治(後3代目桂文団治)の門人となり、米歌子から米之助と改名。明治29年2代目桂米朝を継いで、さらに43年3月3代目米団治を襲名した。米団治の名は2代目が米屋であったことから名乗ったものであるが、米相場の堂島生まれで常に米の一字を付けた名を名乗ったため、当時の大阪で権力のあった相場師の旦那方から贔屓を受けた。米朝時代から枝鶴・松喬と並び中堅として活躍。「古手買い」「手切れ丁稚」などを得意とし、大正時代には「大安売り」など数種のSPレコードを残している。昭和12年の笑福亭松鶴の楽語荘運動に参加。後進の指導にも尽力。

没年月日
昭和18年 10月29日 (1943年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「桂米団治」の解説

桂 米団治(4代目)
カツラ ヨネダンジ

大正・昭和期の落語家



生年
明治29(1896)年9月3日

没年
昭和26(1951)年10月23日

出生地
大阪府大阪市

本名
中浜 賢三

別名
前名=桂 米之助,筆名=中浜 静甫

経歴
大阪・道頓堀に生まれ、幼い頃にキリスト教の洗礼を受ける。明治45年3代目桂米団治に入門、桂米之助を名のり、大正2年初高座。7年二ツ目。11年吉本興業に入るが、12年脱退。以後、しばらく芸界を離れた。昭和5年桂小春団治と桃源座を組織したが、半年ほどで再び芸界を引退。11年5代目笑福亭松鶴の楽語荘に参加、同荘主催の落語会に出演する傍ら、中浜静甫の筆名で雑誌「上方はなし」で健筆をふるい、編集にも従事。13年代書人の資格を取得して自宅で代書屋を開業、その後、この経験を生かして昭和を代表する新作落語「代書屋」を作った。18年4代目桂米団治を襲名。門下に3代目桂米朝らがいる。第5回上方演芸の殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桂米団治」の解説

桂米団治(4代) かつら-よねだんじ

1896-1951 大正-昭和時代の落語家。
明治29年9月3日生まれ。45年3代桂米団治に入門,米之助を名のる。昭和12年5代笑福亭松鶴(しょかく)の楽語荘に同人として参加。18年4代を襲名。一時代書屋をいとなみ,その経験から「代書屋」を創作した。昭和26年10月23日死去。55歳。大阪出身。本名は中浜賢三。
【格言など】芸人の末路あわれは覚悟の前やで(弟子たちへのことば)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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