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桜井和泉太夫(1世)
さくらいいずみだゆう[いっせい]
古浄瑠璃の太夫。江戸時代前期に活躍した。通称を和泉半右衛門といい,最初は人形遣いであったと伝えられる。江戸浄瑠璃の開祖の一人である薩摩浄雲門下の中で最も名高く,寛文2(1662)年桜井丹波少掾平正信を受領。岡清兵衛作『宇治の姫切』などの武勇物,坂田金時の子金平が大活躍する『金平生捕問答(きんぴらいけどりもんどう)』などの豪快で荒唐無稽な金平物を得意とした。和泉太夫と息子の長太夫(2世和泉太夫)が語った金平浄瑠璃(→金平節)は大評判を博し,江戸浄瑠璃の隆盛を招いただけでなく,上方にも多大な影響を与えた。その語り口は激越で,鉄の棒で拍子をとったり,人形の首を引き抜いたりしたといわれる。(→浄瑠璃,人形浄瑠璃,文楽)
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桜井和泉太夫(初代) さくらい-いずみだゆう
?-? 江戸時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
薩摩浄雲門下の四天王のひとりで,和泉太夫節(金平(きんぴら)節)の祖といわれる。寛文2年(1662)受領して桜井丹波少掾(たんばのしょうじょう)平正信と称した。初名は江戸和泉太夫。通称は和泉半右衛門。
桜井和泉太夫(2代) さくらい-いずみだゆう
?-? 江戸時代前期-中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
初代和泉太夫の子。父の跡をつぐ。父子ともに,あらあらしい語り口だったという。前名は桜井長太夫。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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