日本大百科全書(ニッポニカ) 「森矗昶」の意味・わかりやすい解説
森矗昶
もりのぶてる
(1884―1941)
森コンツェルンの創設者。千葉県出身。高等小学校卒業後、家業のヨード事業に従事し、1908年(明治41)「味の素(あじのもと)」の鈴木三郎助と提携して総房水産を設立する。同社は第一次世界大戦後破綻(はたん)し、鈴木の経営する東信電気に吸収され、森自身も取締役として入社、その手腕を認められた。その後「電気の原料化」「国産技術の利用」の理念のもとに日本沃度(ようど)、昭和肥料を設立したのを皮切りに、電気化学、冶金(やきん)工業分野に次々に進出し、日中戦争勃発(ぼっぱつ)ごろまでに新興財閥の一つ森コンツェルンを形成した。戦時中には日本肥料、帝国アルミニウムの両統制国策会社の理事長に就任。1939年(昭和14)日本電気工業と昭和肥料の合併による昭和電工の初代社長となった。政界にも進出、政友会に属し、1924年(大正13)から衆議院議員に連続4期当選。三木武夫は女婿(じょせい)。
[宇田川勝]
『石川悌次郎著『鈴木三郎助伝・森矗昶伝』(1954・東洋書館)』