森野旧薬園(読み)もりのきゆうやくえん

日本歴史地名大系 「森野旧薬園」の解説

森野旧薬園
もりのきゆうやくえん

[現在地名]大宇陀町大字上新

薬園(森野家邸内)古城こじよう山西麓の展望開豁、地味良好な地域に立地する。森野家の旧姓は森岡で、元和年間(一六一五―二四)吉野郡下市しもいち村より移住、世々農を業とし、かたわら葛粉の製造に従事した。森野藤助は元禄三年(一六九〇)生れ、享保一四年(一七二九)幕府の採薬使植村左平次が大和に来たとき御薬草見習で出仕、左平次に従い、室生山に入り、神末こうずえ(現御杖村)カタクリを発見、以後カタクリ粉製造を業とし、奥宇陀おくうだ・吉野群峰の峻険跋渉している(森野藤助日記)

幕府は採薬見習の功を賞し、官園に栽培していた薬草木の種苗を下付したので、自宅の後ろの小山に植付け、カタクリ・人参をはじめ、甘草・天台烏薬・山帰来・黄柏などの珍木奇草を集め、享保二〇年カタクリ粉の専売権を得ている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「森野旧薬園」の解説

もりのきゅうやくえん【森野旧薬園】


奈良県宇陀(うだ)市大宇陀区上新にある薬園。中世に秋山城(宇陀松山城)があった古城山西麓に所在。展望が開けた緩斜面はよく日光を受け、地味もよく排水もよい場所で、代々葛粉(くずこ)の製造を営んできた森野家邸内に設けられている。薬園の創始者である森野藤助は1690年(元禄3)の生まれで1729年(享保14)に幕府御薬草御用の植村佐平次の採薬草見習いになった。採薬は吉野の諸峰、高見山から金剛山に及び約4ヵ月を費やしたという。この採薬中にカタクリを見出し、葛粉製造のかたわらカタクリ粉製造を始めるきっかけになった。以降も採薬は続けられ、その範囲は近畿から東海・北陸まで広がった。その間、藤助は幕府から下付された薬草木の種苗を自宅の裏山に植え、これが薬園の始まりといわれ、享保年間(1716~36年)を通じて薬種50品ほどが拝領されたという。近世の薬園としてその旧態をとどめる貴重なものとされ、1926年(大正15)に国の史跡に指定され、1931年(昭和6)に追加指定を受けた。近畿日本鉄道大阪線榛原駅から奈良交通バス「大宇陀」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の森野旧薬園の言及

【大宇陀[町]】より

…《万葉集》に歌われた安騎野の地で,柿本人麻呂の〈東の野に陽炎の立つみえてかへりみすれば月傾きぬ〉は,軽皇子がこの地に狩をした際の歌である。松山城の西門の遺構である松山西口関門と江戸時代の薬草栽培地森野旧薬園は,国の史跡に指定されている。【松原 宏】。…

※「森野旧薬園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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