日本大百科全書(ニッポニカ) 「検見法」の意味・わかりやすい解説
検見法
けみほう
定免(じょうめん)法と並び江戸時代を代表する徴租法の一つ。「けんみ」とも読む。毛見法とも書き、検見・検見取法ともいう。一定期間年貢高を固定化する定免法とは異なり、耕地の等級や石盛(こくもり)(生産力)を基礎として、毎年作柄の見分、坪刈(つぼがり)を実施し、年貢高を決定する方法である。その手順は、〔1〕村側で前もって作柄を調べ、結果を絵図とともに検見役人へ提出する内見(ないけん)、〔2〕これを受けて代官の手代が2人ずつ組となり、3、4組で回村し、一村内数か所を坪刈する小検見(こけみ)、〔3〕小検見の報告をもとに、村勢全体を考慮しつつ代官が回村を行う大検見(おおけみ)、の3過程を経て年貢高が決定されるというものであった。定免法に比べると、実際の出来高に応じ農民の手元に剰余を残すことなく、年貢を最大限にとることが可能な徴租法であった。しかし、この徴租法は、(1)見分に際して多額の費用がかかり農民の負担が大きいこと、(2)見分の全過程が終了するまで刈り入れができないため、収穫時期を失する場合があること、(3)検見役人の不正が行われやすいこと、などの欠点があった。幕府は1713年(正徳3)小検見廃止の方針を打ち出し、享保(きょうほう)の改革(1716~1745)の展開のなかでは、役人の不正が行われにくい定免法への転換を図る一方、新徴租法である有毛(ありげ)検見法を施行するなど、検見法の欠点を克服しようとする方向を打ち出した。このうち有毛検見法は、耕地本来の等級や石盛をまったく無視し、実際の収穫量から年貢量を決定し、剰余部分をすべて徴収する徹底した年貢徴収法であり、享保の改革における財政再建に大きな役割を果たした。
[大石 学]