石盛(読み)コクモリ

デジタル大辞泉 「石盛」の意味・読み・例文・類語

こく‐もり【石盛】

太閤たいこう検地以降、検地によって耕地や屋敷を上・中・下・下々の四等級に分けそれぞれの等級に応じて公定された反当たりの標準収穫量。石高の算出や年貢賦課の基準ともなった。斗代とだい

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精選版 日本国語大辞典 「石盛」の意味・読み・例文・類語

こく‐もり【石盛】

  1. 〘 名詞 〙 太閤検地以降の検地の際、田畑一反当たりに高を決めること。耕地・屋敷などの地位、すなわち上中下の等級を選び、これに対応する石高を定めること。石盛を決定する際は収穫のみならず土地の善悪用水の便否なども加味される定めであった。古くは斗代(とだい)といった。
    1. [初出の実例]「上中下の地位を分け、上田一段歩に石盛幾つ、中下はいくつと究め、反別に懸け高を仕出すを石もりといふ」(出典:地方凡例録(1794)二)

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改訂新版 世界大百科事典 「石盛」の意味・わかりやすい解説

石盛 (こくもり)

検地に際して田畑・屋敷地の公定収穫量(石高)を算出することをいうが,その反当り換算率すなわち斗代のことをもさす。石盛によって算定された石高に一定の率をかけて年貢・諸役が賦課されたので,石盛の高低は貢租量の多少に関係した。斗代の決定は,田畑の優劣によって上,中,下,下々などに位付けし,上田と見立てた場所2~3ヵ所で1坪(約3.3m2)ごとの坪刈りをし,もし坪当り平均籾1升(約1.8l)があれば1反(約991.7m2)で3石(約541.2l)あり,それを五分摺りすれば玄米1石5斗を得るから,1斗(約18l)の15倍ということで〈15の盛〉または〈1石5斗代〉といった。中田以下は二つ下りで中田は13,下田は11,下々田は9,畑は上畑が12,以下二つ下り,屋敷地は12の盛とするのが普通であった。太閤検地段階ではまだ斗代はかなり多様で,1594年(文禄3)の島津分国検地では,同じ上田でも1石6斗代から1石代まで村によって4段階の差があり,屋敷地も1石3斗代と1石代との2種があった。同年の摂津国の検地でも,上田の斗代は村によって1石5斗から1石2斗まで幅があり,さらに上々田の位付けがあって最高1石8斗の石盛があった。おおむね街道筋とか商工業・サービス業などのかなり展開している町場的な村は斗代が高く,生産条件の悪い村の斗代が低い。これは斗代が米穀収穫量を基本に見積りつつも農業外の収益をも含む社会的総生産力を加味し,検地奉行の裁量によって決定されたことを示している。また,政治的・軍事的重要地の斗代を低くした事例もある。江戸時代に入ってからの諸検地では,生産条件の改善や百姓発言権の増大などにより村落間の斗代差はしだいに解消され,寛文・延宝期(1661-81)にはほぼ上田1石5斗,以下2斗下りに定着した。その後,生産力の上昇にともなって実際収穫量と斗代の間に乖離が生じたが,田畑の面積・位付けの変更や租率の上昇はあっても斗代はほとんど改変されなかった。
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日本歴史地名大系 「石盛」の解説

石盛
いしがもり

[現在地名]会津若松市一箕町八幡 石ヶ森

滝沢たきざわ村より金堀かねほり村に至る道の途中にあり、滝沢村の端村であった。慶長八年(一六〇三)石盛山で金の採取が始められ、年々繁盛して金掘小屋が一千七〇〇軒にまでなり、寛文(一六六一―七三)頃までなお五六軒あった。慶長八年より八年間で二八八万両、同一六年より一〇年間で七二万五〇〇両、加藤氏時代は六四〇万八千三三両、寛永二〇年(一六四三)より一六年間で一万六千四三八両、吹金三八貫四八一文目の産出があったという(新編会津風土記)

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百科事典マイペディア 「石盛」の意味・わかりやすい解説

石盛【こくもり】

斗代(とだい)とも。太閤検地以来検地によって公定される土地生産力の石高換算基準。土地に石高を盛りつけるの意。田畑の質に応じて上・中・下・下々の等級をつけ,上田を数ヵ所坪刈して反当平均もみ収量を得,これを米に換算した量がたとえば1斗2升ならば上田12とし,以下通例二つ下がりで中田10,下田8と各等級の数字が決定される。上畑は中田に準じ,屋敷地は上畑に準ずる。反数にこの数字を乗ずれば石高が得られる。
→関連項目京枡石高制地押太閤検地斗代分米村鑑大概帳

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石盛」の意味・わかりやすい解説

石盛
こくもり

斗代ともいう。江戸時代の石高制のもとで,検地によって決定された耕地や屋敷地1反 (約 991m2) あたりの地種・等級に応じて査定された平均収穫量。立地条件や収穫の経験により,上田,中田,下田,下々田,上畑,中畑,下畑,下々畑,屋敷の地種・等級を定め,上田について坪刈という部分収穫により坪 (3.3m2) あたりの籾の収量を求め,その 300倍の2分の1を玄米の反当収量とし,たとえば上田の反収1石7斗ならば石盛1ッ7分,斗代 17と呼び,与えられた耕地の面積に乗じて石高を算定する。上田から中田へは石盛2分ずつ下げ,上畑を中田になぞらえ,屋敷を上畑と等しくするのが普通である。この手続で定められた石高は検地帳に登録されて年々不変であったから,毎年の年貢収納の際にはさらに検見 (→検見法 ) もしくは定免による免という租率を乗じて上納高を決定した。 1873年廃止

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石盛」の意味・わかりやすい解説

石盛
こくもり

検地によって公定された田畑屋敷の反(たん)当りの標準収穫率。斗代(とだい)ともいう。検地の際、田畑の良否により上・中・下・下々(げげ)に分け、上田を坪刈(つぼがり)して平均反当り収量を求め、それがかりに籾(もみ)3石なら五合摺(ずり)にして米1石5斗となり、それを1斗で除した商15が上田の石盛である。中田以下は1級ごとに上田より二つ下がり、上畑は下田と同じ、中畑以下も二つ下がりに石盛する。これが原則であるが、実際には若干変えられることもあった。石盛は1斗を1、1石を10とするもので、これを基準にして石高(こくだか)、年貢高が決められた。石盛の決定には、前述の坪刈のほかに、その地域の社会的富の大小や、政治的判断が加えられることも多かった。

[宮川 満]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「石盛」の解説

石盛
こくもり

斗代(とだい)とも。江戸時代に使われた耕地の段当り基準生産高。検地の際,田畑や屋敷地などの等級を査定するとともに,これに対応する石盛を確定し,石高の算定基準とした。石盛の査定は土地の生産力を基準としていたが,生産力そのものを直接表すわけではなく,地域の経済的・政治的条件なども勘案した。石盛の盛は段別に石高を盛りつけるときの指数で,ふつう1斗で除した数で示された。上田(じょうでん)1段に籾3石,米にして1石5斗収穫できる土地を石盛15,以下二つ下がりに石盛を設定し,上畑・屋敷地は下田並みに扱うのが一応の基準となった。江戸時代を通じて,石盛と現実の生産力とはしだいに乖離(かいり)する傾向にあったが,石盛の改訂はほとんどなされなかった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「石盛」の解説

石盛
こくもり

太閤検地以後,租税賦課のため決定された反当たり標準収穫量
斗代 (とだい) ともいう。田畑を上・中・下・下々に分け,上田を坪刈して平均収穫量を算定。反当たり1石5斗なら石盛15とし,中田以下は二つずつ減じた。上畑の石盛は下田なみとした。石盛により村高を定め,それに年貢率を乗じて年貢を課した。1873(明治6)年廃止。

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世界大百科事典(旧版)内の石盛の言及

【田畑成・畑田成】より

…逆に,畑地を田地に変えることを畑田成という。田畑成の場合,通常,上田は上畑の石盛(こくもり)に,中田,下田はそれぞれ中畑・下畑の石盛に直して石高を算定する。畑は田よりも石盛が低いから,当然もとの石高よりも減高になるが,この分は田畑成石盛違引として高内引(たかうちびき)に加えられ,年貢を免除された。…

【見付田】より

…〈みつけものの土地〉の意といわれる。通常の耕地は検地により等級と石盛(こくもり)が決定するが,石盛もつけられない劣悪な土地より少しは良い耕地のこと。等級の最低である下々より以下の石盛1斗,2斗と生産性の低い耕地で,水田を見付田,畑を見付畑という。…

※「石盛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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