椿井城跡(読み)つばいじようあと

日本歴史地名大系 「椿井城跡」の解説

椿井城跡
つばいじようあと

[現在地名]山城町大字椿井 中垣内

椿井の南端丘陵上、中垣内なかがいと東部の天城てんじよう山の山頂(約五〇メートル)にある。奈良街道眼下に押える要衝の地にあった。

「経覚私要鈔」文明三年(一四七一)六月四日条に「大内勢少々山城へ下云々、山城椿井等ニ有新城可責其用歟云々」、同一二日条に「山城椿井上山ニ山城面々今度新構城在之、然今日大内衆自後山取向テ責之間被責落了、立籠衆狛下司、普賢寺中、下狛大北、田那部別所四人先被打之由、古市へ告来云々」とあり、東軍方山城国人衆のこもる「椿井新城」が西軍方大内勢による攻撃によって落城したことがわかる。「大乗院寺社雑事記」同一七年一〇月一四日条は、東西両軍南山城対陣に際して「右衛門佐方之城共」の一つとして「椿井城本人」を記し、狛野こまの庄の北庄に基盤をもつ椿井氏の在城を伝える。


椿井城跡
つばいじようあと

[現在地名]平群町大字椿井

興福寺大乗院方衆徒椿井氏の居城を石田三成の軍師嶋左近が修築したものとされるが不明。椿井集落東部の春日神社の東、標高二三〇メートルの矢田やた丘陵南端西側に郭跡・砦が展開。城跡は中央鞍部で南北に二分され、南は四メートルほど高く五一五平方メートルの平地で出郭・砦跡があり、さらに南側に深い切通堀を隔てて約三二二平方メートルの長方形台地に南出丸郭跡がある。北部分には一三〇平方メートルの方形に近い台地があり、深さ三・五メートルの切通堀を越してそれより一五メートルほど高い所に郭・空地があり、おそらく本丸跡であったと考えられる標高二四一メートルの地点がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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