横地村(読み)よこちむら

日本歴史地名大系 「横地村」の解説

横地村
よこちむら

[現在地名]門真市常盤ときわ町・大橋おおはし町・横地・古川ふるかわ町・常称寺じようしようじ町・宮野みやの町・朝日あさひ町・野里のざと町・上野口かみのぐち町・上島かみしま町・千石西せんごくにし町・舟田ふなだ町・南野口みなみのぐち町・大池おおいけ

野口村の西、古川左岸沿いの平坦地。ほぼ東西に清滝きよたき街道が通り、西方古川橋を渡って対岸の門真一番上かどまいちばんかみ村に通じる。水陸ともに交通の便がよい。土質は淡黒膠泥で鉄分を含む。悪水による被害があった。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高四三〇石余、小物成として葭蓮年貢米四石二斗余。領主の変遷は常称寺村に同じ。嘉永元年(一八四八)一〇月から二〇ヵ年守口もりぐち宿増助郷村となり、勤高一六八石(東海道守口宿増助郷帳「守口市史」所収)


横地村
よこちむら

[現在地名]松阪市横地町

櫛田くしだ川右岸にある。東は伊勢場いせば村に接する。平安期には東寺領大国おおくに庄に含まれ、横道といわれていた。保安二年(一一二一)九月二三日付伊勢国大国庄流失田畠注進状(東寺百合文書)に「去八月廿五日洪水、且流失、且砂埋田畠損亡」とあるなかに「一、横道村田八町四段半、桑畠二町二段三百歩」とみえる。天治二年(一一二五)一一月の伊勢国大国庄専当藤原時光解(同文書)には「横道郷」とあり、「稲木横道両郷住人」の記載からしてこの「郷」は村の単位を示していると思われる。


横地村
よこじむら

[現在地名]輪島市横地町

杉平すぎひら村の南、河原田かわらだ川中流東岸の段丘山地に立地。正保郷帳に村名がみえ、高二四九石余、田方一三町一反余・畑方三町五反余。承応三年(一六五四)の村御印の高二五二石余、免六ツ余(能登奥両郡収納帳)寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高二六三石、免六ツ三歩、小物成は山役九〇匁、苦竹役二匁(出来)であった(三箇国高物成帳)。安永一〇年(一七八一)の家数三六・人数二二一、馬三五・牛七(「持高人馬帳」横地町区有文書)。弘化三年(一八四六)百姓定数を三六に制限した(「横地村面数制限定」同文書)。安政六年(一八五九)の洪水で田四千八〇〇歩が被害を受けた(「出水被害注進状」筒井文書)


横地村
よこじむら

[現在地名]八東町横地

稗谷ひえだに村の東の山中に位置し、枝郷に儘山ままやまそのがある。拝領高は一〇五石余。本免六ツ二分。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」によると高一一七石余、竈数三〇。「因幡志」では家数三二、産土神は八大荒神・山神。物産は苧・稗・麻茸。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高一一八石余、竈数二八。寛政六年(一七九四)四月山崩れがあり、「因府年表」に「竪八町横百間計り蛇持の如くに相成る。一説には、法螺貝の抜出たる也と云」とある。文政元年(一八一八)、同二年には大豆銀納を願出、認められた(在方諸事控)


横地村
よこちむら

[現在地名]稲沢市横地町

三宅みやけ川の北東岸の自然堤防上の地高に位置しており、東は池部いけべ村に接し、人家は村の中央に集中している(嘉永の村絵図)。天正三年(一五七五)織田信長道根どうね横野よこの(萩原古川堤)修築を代官祖父江五郎右衛門らに命じた朱印状(氷室家文書)と同一一年織田信雄が杉浦五左衛門・池山四郎左衛門を奉行として堤築造を命じた朱印状(杉浦家文書)に横地とみえる。天正末に織田信雄が幅三間の支線道路築造を命じた判物(酒井家文書)に「よこち」とみえ、家臣池山四郎左衛門の知行地であった(織田信雄分限帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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