橋本関雪(読み)ハシモトカンセツ

デジタル大辞泉 「橋本関雪」の意味・読み・例文・類語

はしもと‐かんせつ〔‐クワンセツ〕【橋本関雪】

[1883~1945]日本画家。兵庫の生まれ。本名貫一竹内栖鳳たけうちせいほうに師事。四条派画風南画などの技法を加味した画風で、関西日本画壇に重きをなした。作「玄猿」など。

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精選版 日本国語大辞典 「橋本関雪」の意味・読み・例文・類語

はしもと‐かんせつ【橋本関雪】

  1. 日本画家。神戸市出身。竹内栖鳳に師事したが、のちに独立。関西の日本画壇で重きをなした。画風は四条派の基礎の上に南画を加味した独特のもの。帝室技芸員代表作長恨歌」「玄猿」。明治一六~昭和二〇年(一八八三‐一九四五

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20世紀日本人名事典 「橋本関雪」の解説

橋本 関雪
ハシモト カンセツ

大正・昭和期の日本画家



生年
明治16(1883)年11月10日

没年
昭和20(1945)年2月26日

出生地
兵庫県神戸市

本名
橋本 関一

別名
幼名=成常

主な受賞名〔年〕
文展特選〔大正5年・6年〕「寒山拾得」「倪雲林」,レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ章〔昭和6年〕,朝日文化賞(昭14年度)〔昭和15年〕「軍馬二題」

経歴
明治28年片岡公曠に四条派の画風を学び、36年竹内栖鳳に師事する。41年文展に初入選し、以後大正6年まで連続して受賞し、8年帝展審査員となる。昭和9年帝室技芸員、10年帝国美術院会員、12年芸術院会員。広く古典や歴史、花鳥風月題材をとり人気を得た。代表作に「寒山拾得」「玄猿」「香妃戎装」など。また京都・建仁寺方丈襖絵六十面を制作。著書に「南画への道程」「白沙村人随筆」などがある。一方、古今東西の膨大な美術コレクターとしても知られる。京都市左京区に白沙村荘・橋本関雪記念館がある。平成10年行方不明となっていた画壇出世作の「失意」が発見された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「橋本関雪」の意味・わかりやすい解説

橋本関雪
はしもとかんせつ
(1883―1945)

日本画家。神戸に生まれる。本名関一。父は漢学者で南画家の橋本海関。初め四条派の片岡公曠(こうこう)に学び、1903年(明治36)から竹内栖鳳(せいほう)に師事する。08年第2回文展で初入選。第4回展の『琵琶行(びわこう)』、第7回展の『遅日(ちじつ)』などで連年の受賞を重ね、16年(大正5)の第10回展から3回連続特選となる。19年の第1回帝展から審査員を歴任し、33年(昭和8)第14回帝展に『玄猿(げんえん)』を出品。34年帝室技芸員となり、翌35年には帝国美術院会員となった。この間、13年からしばしば中国に旅行し、21年と27年にはヨーロッパにも赴いている。南画、四条派の技法に日本、中国の古名画研究の成果を加えた独自の様式創出。作域も風景、花鳥、人物と幅広く、40年には京都・建仁(けんにん)寺方丈襖絵(ほうじょうふすまえ)60面を完成した。そのほかの代表作に『木蘭詩(もくらんし)』『長恨歌(ちょうごんか)』など。著書に『関雪随筆』『支那(しな)山水随縁(ずいえん)』がある。京都で没し、その旧宅は白沙村荘(はくさそんそう)として公開されている。

[二階堂充]

『橋本帰一編『橋本関雪素描名作集』全三巻(1972・白沙村荘)』『兵庫県立近代美術館編『橋本関雪の世界』図録(1977・白沙村荘)』

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百科事典マイペディア 「橋本関雪」の意味・わかりやすい解説

橋本関雪【はしもとかんせつ】

日本画家。神戸生れ。本名関一。片岡公曠,竹内栖鳳に学ぶ。初期の文展に出品して認められ,帝展第1回より審査員となる。中国や日本の古画を研究,四条派文人画の技法に写実的表現を加え,格調ある表現に到達。作品は《玄猿》《木蘭詩》など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「橋本関雪」の意味・わかりやすい解説

橋本関雪
はしもとかんせつ

[生]1883.11.10. 神戸
[没]1945.2.26. 京都
日本画家。本名は成常,のち関一。 1895年片岡公曠に南宗画を学び,1903年から竹内栖鳳に師事,06年神戸絵画研精会を組織。 13年中国を訪れてのちは,中国の風物や古典文学に題材を取った力作を次々に発表。文展の花形として活躍。 23年栖鳳の竹杖会から離脱,21年と 27年に渡欧。新南画と呼ばれる独自の作風を築き,京都画壇で独歩の創作活動を行なった。 34年帝室技芸員,翌年帝国美術院会員。中国古典に精通し,詩文も巧みで『関雪随筆』『南画への道程』の著書がある。主要作品『木蘭詩』 (1920) ,『意馬心猿』 (28,京都国立近代美術館) ,『玄猿』 (33,東京芸術大学) ,『唐犬図』 (36,大阪市立美術館) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橋本関雪」の解説

橋本関雪 はしもと-かんせつ

1883-1945 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治16年11月10日生まれ。片岡公曠(こうこう),竹内栖鳳(せいほう)にまなぶ。文展で連続特選となり,大正8年の第1回帝展から審査員。中国や日本の古画を研究し,とくに動物画に格調ある画風を確立した。帝室技芸員,芸術院会員。昭和20年2月26日死去。63歳。兵庫県出身。本名は関一。代表作に「玄猿」「木蘭詩」「長恨歌(ちょうごんか)」,著作に「南画への道程」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「橋本関雪」の解説

橋本関雪
はしもとかんせつ

1883〜1945
大正・昭和期の日本画家
兵庫県の生まれ。竹内栖鳳 (せいほう) に師事。自尊心が強く,非妥協的な性格から画壇で孤立し,中国の古典・古画を研究し独自の画風を開く。また元明石藩の儒学者であった父海関の影響をうけ,詩・書にもすぐれた。代表作に『玄猿』『寒山拾得』など。

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367日誕生日大事典 「橋本関雪」の解説

橋本 関雪 (はしもと かんせつ)

生年月日:1883年11月10日
大正時代;昭和時代の日本画家
1945年没

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