橘孝三郎(読み)たちばなこうざぶろう

改訂新版 世界大百科事典 「橘孝三郎」の意味・わかりやすい解説

橘孝三郎 (たちばなこうざぶろう)
生没年:1893-1974(明治26-昭和49)

農本主義者。五・一五事件指導者。茨城県出身。一高に入学,トルストイカーペンター著作から影響を受け,1915年卒業間際に退学して帰郷し,理想的な農村の形成をめざしながら農耕生活を送る。のち兄弟や友人がこれに加わり,兄弟村と呼ばれた。27年から農村青年啓蒙のために県内を講演して,慢性的な不況に苦しむ農村の現実を知り,〈大地とともに耕やす者どうしの連帯〉を通しての農村,さらに国の救済を主張しはじめる。これに共鳴した中堅青年などと,その啓蒙と実践のため,29年愛郷会を結成した。31年同会の活動の一環として,自覚的な〈日本の正しくよき土の勤労生活者〉養成のため愛郷塾を設立,〈大地主義,兄弟主義,勤労主義〉に基づく集団教育を行った。1930年代に入ると,愛郷会の政治的進出による農村救済の路線に限界を感じ,井上日召同志としてその一派の有力者となった。32年古賀清志らの求めに応じ,塾生を率いて,農民決死隊として五・一五事件に参加無期懲役となる。40年減刑され出獄した後は,著作活動にほぼ専念した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「橘孝三郎」の意味・わかりやすい解説

橘孝三郎
たちばなこうざぶろう
(1893―1974)

農本主義的右翼思想家。茨城県生まれ。水戸中学卒業後一高に進むが、トルストイやカーペンターの著作、ミレーの絵などの影響を受け、現代文明社会に疑問を抱き、中退して郷里に帰り百姓生活に入る。勤労主義に基づき兄弟、友人と農業経営に励み、1921年(大正10)ごろには農場は「兄弟村農場」の名で知られる。29年(昭和4)林正三らと愛郷会を設立、さらに31年には農村青少年を対象とする勤労学校愛郷塾を創立塾長となる。昭和農業恐慌により打撃を受けて急進化し国家改造を指向、青年将校や井上日召(にっしょう)らと結び付き、32年の五・一五事件には塾生を農民決死隊として組織する。橘は無期懲役の判決を受けるが、40年恩赦により出獄。第二次世界大戦後は著述に専念した。

[北河賢三]

『松沢哲成著『橘孝三郎』(1972・三一書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「橘孝三郎」の意味・わかりやすい解説

橘孝三郎
たちばなこうざぶろう

[生]1893.3.18. 水戸
[没]1974.3.30. 水戸
農本主義的国家主義者。第一高等学校を中退。郷里に帰って農耕のかたわら思索の生活を続け,大地主義,兄弟主義,勤労主義を三位一体とする農本主義精神に到達した。また,長兄,次兄をはじめ一家一族のほとんどがともに同じ農場で働くことになり,兄弟村農場として世間の注目を集めた。 1929年愛郷会を創設,31年には私塾愛郷塾を開いて農本主義的な運動を進め,血盟団の井上日召らと関係を結んで極右的,暴力的傾向を強めた。 32年の五・一五事件では,愛郷塾生の多数が農民決死隊として参加,橘もこれに連座して無期懲役に処せられた。 40年に出獄後,第2次世界大戦の敗戦を経て愛郷塾は「報本農場」として復活し,橘は,再び農場経営を営むかたわら農民運動に関係した。

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百科事典マイペディア 「橘孝三郎」の意味・わかりやすい解説

橘孝三郎【たちばなこうざぶろう】

国家主義運動家。茨城県生れ。農本主義を唱え,1929年水戸市郊外に愛郷(あいきょう)会,1931年愛郷塾を創立して青年を指導,五・一五事件には塾生を率いて参加し捕らえられた。1940年減刑されて出獄,以後は著作活動にほぼ専念した。著書に《農本維新論》等。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「橘孝三郎」の解説

橘孝三郎
たちばなこうざぶろう

1893.3.18~1974.3.30

昭和期の国家主義者。茨城県出身。一高在学中にトルストイの作品などの影響を強くうけ,中退後農耕生活に入る。農本主義による農村青年の啓蒙教化をめざし,権藤成卿らの協力をえて1931年(昭和6)愛郷塾を創設。井上日召(にっしょう)や海軍青年将校らと交流し,暴力による国家革新を肯定するに至り,32年の5・15事件には愛郷塾生に決死隊を組織させ,変電所を襲撃させた。無期懲役となるが,40年恩赦で仮出所。第2次大戦後も愛郷塾で活動を続けた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橘孝三郎」の解説

橘孝三郎 たちばな-こうざぶろう

1893-1974 大正-昭和時代の思想家。
明治26年3月18日生まれ。一高を中退後郷里茨城県で兄弟村農場を創設,農本主義教育をめざして愛郷塾をひらく。井上日召や海軍青年将校らと交流し,五・一五事件の際塾生らと参加,無期懲役となったが,昭和15年恩赦で出獄。昭和49年3月30日死去。81歳。著作に「土の日本」など。

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世界大百科事典(旧版)内の橘孝三郎の言及

【愛郷塾】より

…農本主義者橘孝三郎が1931年水戸市郊外に創立した私塾。正式には自営的農村勤労学校愛郷塾。…

【救農議会】より

…この議会に向けて各種農民団体の請願が続き,借金の棒引き,軽減または償還延期,農産物価格引上げ,国家による損失補償,肥料資金の国家補償,税金の軽減などが全国に宣伝された。とくに長野,山梨,群馬など養蚕県では長野朗,権藤成卿,橘孝三郎ら農本主義者による自治農民協議会が結成され,全国から約5万人の署名を集め,第62議会に向けて農村救済請願運動が展開された。この結果,つづいて救農議会が開かれ,米穀法改正などによる米価対策,産業組合中央金庫特別融通及損失補償法,不動産融資及損失補償法,金銭債務臨時調停法などによる負債対策,さらに土木事業により景気回復と窮乏農民に副業収入を与えるための大規模な救農土木事業(または時局匡救事業)が可決実施された。…

【五・一五事件】より

…第2陣の海軍側は,藤井が戦死したため,古賀清志中尉,中村義雄中尉らが中心となって準備をすすめた。古賀らは愛郷塾の橘孝三郎に働きかけ,橘は塾生7名による農民決死隊を編成した。橘らは農本主義の立場から,農業恐慌下の農村困窮の元凶を資本主義に見いだし,その代表である財閥や政党の打倒をめざす国家改造運動に連なっていた。…

【農本主義】より

…〈農業は尊いものである,偉大なものであると云ふ考えを起すやうにしてやつたならば始めて小作人が逃げて行かぬやうになる〉(横井《農事振興集》)というように地主制の安定化を図ろうとした。(3)権藤成卿,橘孝三郎のような在野の右翼運動家の主張する小生産者―中農層の危機に対応した超国家主義的農本主義。〈是の不安危惧の深きは農村である。…

※「橘孝三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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