高松城(読み)タカマツジョウ

デジタル大辞泉 「高松城」の意味・読み・例文・類語

たかまつ‐じょう〔‐ジヤウ〕【高松城】

高松にあった城。戦国時代毛利氏の属将清水宗治居城天正10年(1582)羽柴秀吉(豊臣秀吉)水攻めで開城。
高松にある城。生駒親正いこまちかまさ築城寛永19年(1642)松平頼重が入封後、親藩松平氏の居城。月見やぐらが現存。玉藻城

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精選版 日本国語大辞典 「高松城」の意味・読み・例文・類語

たかまつ‐じょう‥ジャウ【高松城】

  1. [ 一 ] 香川県高松市にあった城。天正一六年(一五八八生駒親正が築城。寛永一九年(一六四二)松平頼重が入城。海を背面にして讚岐平野の東部に設けられた平城(ひらじろ)。月見櫓(やぐら)、渡櫓、艮(うしとら)櫓などが現存し、いずれも国重要文化財。国史跡。玉藻城。
  2. [ 二 ] 岡山市高松にあった城。永祿年間(一五五八‐七〇)石川久弐(ひさのり)が築城したと伝えられる。のち清水氏の居城となり天正一〇年(一五八二羽柴秀吉によって水攻めにされ、城主宗治らの切腹で開城。のち宇喜多家家臣花房氏が入封、廃城となった。国史跡。備中高松城

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日本の城がわかる事典 「高松城」の解説

たかまつじょう【高松城〈香川県〉】

香川県高松市玉藻町にあった平城(ひらじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。三重の天守を擁し、水門を設けて内堀・外堀に海水を引き入れ、船倉を設置して軍船を配備した水城(みずじろ)であった。豊臣秀吉の四国制圧後、1590年(天正18)讃岐(さぬき)国に封ぜられた生駒親正(いこまちかまさ)が、瀬戸内海に面した野原荘に築き、この地を高松と改称した。築城にあたって、築城術の大家であった藤堂高虎や黒田如水(じょすい)などの意見を聞いたという。生駒氏は4代高俊(たかとし)の時にお家騒動で転封になり、替わって1642年(寛永19)、水戸城主徳川光圀(とくがわみつくに)の兄松平頼重(まつだいらよりしげ)が入城した。頼重は天守、石垣の修築に取りかかり、東の丸、北の丸も新たに造成した。2代藩主の頼常(よりつね)(光圀の長男・養子)は、新曲輪(くるわ)に月見櫓(つきみやぐら)や水の手門などを造り、海の防備を強化した。以後、高松城は11代にわたる松平氏の居城となった。1869年(明治2)の版籍奉還とともに城郭は兵部省(後の陸軍省)に接収され、外堀が埋め立てられ市街化が進んだ。この時期、城内の多くの建築物が取り壊され、1884年(明治17)に老朽化のため天守も解体された。1890年(明治23)に松平家に払い下げられ、天守台に玉藻廟(たまもびょう)、三の丸跡に松平家別邸の披雲閣(ひうんかく)を建設した。現在、城跡は玉藻公園となり、天守台、北の丸月見櫓、水手御門、旧東の丸艮櫓(うしとらやぐら)、石垣、堀などが現存する。JR予讃本線・高徳本線高松駅から徒歩3分。◇玉藻城(たまもじょう)ともいう。

たかまつじょう【高松城〈岡山県〉】

岡山県岡山市北区高松(備中高松)にあった平城(ひらじろ)。石垣ではなく土塁で築城、周囲の低湿地帯が天然の堀の役割を果たした。戦国時代末期、備中松山城(高梁市)の城主三村氏に命じられた、配下の石川久式(いしかわひさのり)が築いた。三村氏と石川氏が滅亡後、久式の女婿である清水宗治(しみずむねはる)が城主となった。1582年(天正10)4月、中国征伐に乗り出した織田信長の先鋒羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が、3万の軍勢を率いて毛利氏の勢力下にあった備中に侵攻、高松城を包囲した。これに対し、宗治は5000の兵とともに籠城して抵抗。秀吉勢は、周囲の沼地のために攻めあぐんだ。秀吉は軍師の黒田官兵衛の献策を受け入れ、足守川(あしもりがわ)をせき止め、水を城域に流し込む作戦を計画。この土木工事に周辺の農民を高額の報酬で動員し、11日で完工したという。おりから梅雨時の雨も加わり、この策は成功し、城内は水浸しとなって城は孤立、宗治は兵の助命とひきかえに自刃して果てた。この戦いは「高松城の水攻め」として世に知られている。江戸時代初期、高松城はしばらく陣屋として使われていたが、やがて廃城となった。現在、城址公園として整備され、本丸跡と水攻め堤防の一部は国の史跡に指定されている。また、清水宗治の首塚と資料館がある。JR吉備線備中高松駅から徒歩10分。◇備中高松城とも呼ばれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高松城」の意味・わかりやすい解説

高松城(岡山市)
たかまつじょう

戦国期の城。岡山市北区高松にあり、普通、備中(びっちゅう)高松城といわれている。城は、中国統一の鍵(かぎ)を握る吉備(きび)平野の一角、背後に山を控え、南西は足守(あしもり)川、三方が沼という平城(ひらじろ)ながら要害の地にあった。1569~70年(永禄12~元亀1)ごろ備中松山城に拠(よ)る三村(みむら)氏の重臣の一人石川久式(ひさのり)によって築かれ、久式が三村氏とともに毛利(もうり)氏に滅ぼされたあと、久式の家臣だった清水宗治(しみずむねはる)が毛利氏に取り立てられて城主となった。1582年(天正10)羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉は3万余の大軍で包囲したが容易に落ちず、足守川をせき止めて城を水攻めにし、ついに講和開城させた。往時は本丸、二の丸、三の丸からなっていたが、現在は本丸跡が史跡公園として整備されており、あとは水田、宅地と化している。

[小和田哲男]

『富阪晃著『岡山の城』(1995・山陽新聞社)』



高松城(香川県高松市)
たかまつじょう

戦国期~江戸期の城。香川県高松市玉藻(たまも)町にあり、玉藻城ともいう。豊臣(とよとみ)秀吉の臣生駒親正(いこまちかまさ)が1587年(天正15)讃岐(さぬき)17万3000石に封ぜられ、翌年から90年にかけて築いたものである。秀吉の意を受けて瀬戸内水軍監督のための水(海)城として築かれた。生駒氏は4代居城して改易され、1642年(寛永19)松平頼重(よりしげ)が入封し、11代相承して明治維新に至った。松平氏は中国、四国の外様(とざま)大名の押さえとして配置されたため、城は増強に増強が重ねられていった。現在、月見(着見)櫓(やぐら)、続(つづき)櫓、渡(わたり)櫓、艮(うしとら)櫓の四つの櫓と水手門(みずのてもん)が残り、いずれも国の重要文化財に指定されている。史跡。

[小和田哲男]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高松城」の意味・わかりやすい解説

高松城[岡山]
たかまつじょう[おかやま]

備中国高松(岡山県岡山市北区高松)にあった平城毛利氏が築城,天正年間(1573~92)その臣清水宗治が城主。周囲の沼を要害としたが,織田信長中国征伐にあたり,天正10(1582)年豊臣秀吉が足守川に堰堤を設けてこれを水攻めにしたのは有名。

高松城
たかまつじょう

讃岐国高松 (香川県高松市) にあった平城。一名玉藻城。天正 16 (1588) 年生駒親正によって築城され,寛永 19 (1642) 年徳川頼房の子松平頼重が城主となって以来,明治維新まで松平氏の居城。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「高松城」の解説

高松城
たかまつじょう

岡山市にあった中世~近世の平城。天正年間(1573~92)石川氏が築城。1582年清水宗治が城主のとき,豊臣秀吉に攻められ籠城。秀吉は足守(あしもり)川をせき止める堤防と多数の陣城(じんじろ)を築き水攻めにした。毛利氏も後詰の兵を送り対峙したが,宗治の切腹で開城。その後花房正成が城主となり,元和年間(1615~24)まで陣屋が設けられた。低湿な地形を利用した五つの郭からなる。水堀の一部や郭が残り,中心部は公園化が進む。主郭には改葬された宗治の首塚がある。周辺には水攻めの堤防や両軍の陣城群の跡をみることができるが,陣城群は未整備。城跡と水攻築堤跡は国史跡。

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百科事典マイペディア 「高松城」の意味・わかりやすい解説

高松城【たかまつじょう】

香川県(讃岐(さぬき)国)高松市にあった平城(ひらじろ)。北は瀬戸内海に面し,海水を引き入れた三重の濠をめぐらしていた。1587年に讃岐15万石の領主に封じられた豊臣秀吉の家臣生駒親正が築城。生駒氏・松平氏の高松藩の居城で,高松城下が形成された。1667年からの改築で最上階が直下の階より大きい南蛮造(なんばんづくり)の天守を上棟。1884年天守は解体され,城跡(史跡)は現在玉藻公園となっている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「高松城」の解説

高松城
たかまつじょう

①岡山県岡山市高松にあった城
②香川県高松市にあった城
1582年,石山本願寺に加勢した毛利氏に対し,織田信長は豊臣秀吉に,その前衛拠点であるこの城を攻めさせた。秀吉は水攻めを行ったが,その最中に本能寺の変を知り,城将清水宗治 (むねはる) の自刃と開城を条件に和睦した。
1590年生駒親正が築城。1642年以降親藩松平氏の居城となった。

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事典・日本の観光資源 「高松城」の解説

高松城

(香川県高松市)
日本100名城」指定の観光名所。

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