日本大百科全書(ニッポニカ) 「機能的国家論」の意味・わかりやすい解説
機能的国家論
きのうてきこっかろん
functional theory of the state
国家を最高至上のものとして国家への絶対服従を要求したり、あるいは国家をある民族的使命を実現する共同体として神聖視したりする第二次世界大戦前のドイツや日本の国家観に反対し、国家の価値は、国家が個人の自由や幸福をどれほど保障し実現しえているかどうか、つまり国家の機能(作用・働き)の優劣において評価すべきであると主張する民主主義的な国家観。
このような国家論は、第一次大戦が国家利益を最優先させた強国間の闘争であったことへの反省、またそうした悲惨な経験を味わったにもかかわらず、その後も依然として国家権力の強化が図られていた当時の政治状況に対する危惧(きぐ)から生まれたもので、イギリスのコールやラスキ、アメリカのマッキーバーなどの政治・社会学者たちが唱えたいわゆる多元的国家論が機能的国家論の代表的理論といえる。
17、18世紀の市民革命後に登場した近代国家は、国内的には、共通の法律を制定して成員全体に自由と生活の安定を保障することを宣言し、その目的を実現するために最高権力(主権)をもつことを主張した。しかも、この国家のもつ主権は、国民の同意・契約に基づいて設立されたものであるとされたから、近代国家はそのまま民主国家の代名詞となりえたし、また国家の存立は、国民の権利・自由や生活の安定を保障できるかどうかによって定まり、悪政は変更してもよいと考えられていたから、この意味では近代国家成立期の国家観は、そもそも機能的国家論であったともいえる。
しかし、その後の近代史の進展のなかで、各国家は、自国の繁栄と安全を図るためには帝国主義戦争をも辞さないという危険な道を歩み始め、そのことが個人の自由よりも国家の独立を優先させる傾向を顕著なものにした。こうした傾向は、第一次大戦前後の時期にイギリスのような先進民主主義国にも現れ、ボーズンキットらによって国家の個人に対する優位を説くヘーゲル哲学が国家理論のなかに導入された。
これに対し、多元的国家論者たちは、国家は、共同社会を形成していた人々が、生命・自由・安全の確保のために設けたものであり、その意味で、国家は部分社会にすぎず、国家に与えられた主権や最高権力は、人々が国家を設立した目的に従って行使されるべきであるとして、国家の主張する無条件的優位性を否定した。また、彼らは、国家は、一部の統治集団(政府)によってのみ運営されるものではなく、国家内部に存在するさまざまな部分社会(学校・教会・クラブ・企業・労働組合など)との協力関係によって初めてその社会的共同生活の目的を達成できると説いた。このようにみるとき、機能的国家論は、近代国家成立期以来のリベラル・デモクラシーの考え方を現代において受け継いだ国家論であると定義づけることができよう。
[田中 浩]
『H・J・ラスキ著、日高明三・横越英一訳『政治学大綱』上下(1952・法政大学出版局)』▽『田中浩著『国家と個人』(1990・岩波書店)』