政治的多元主義ともいい、国家主権の絶対性を否定し、権力や権威を他の多くの職能団体にも分割しようとする理論である。この国家論にあっては、国家(政府)は部分社会や集団と並列的またはそれに近い関係に位置づけられ、これらと同様に、ある特定の目的や利益を追求する団体とみなされる。このような理論は、20世紀の初頭に主として英米諸国で唱えられたものであり、この学派に属する思想家としては、イギリスではメートランド、フィッギス、ラスキ、ラッセル、コール、アメリカではマッキーバー、フォーレットなどがいる。
多元的国家論は、視点を変えれば、国家の主権性を否定することによって、失われつつある人間の自由や要求をふたたび回復しようとする主張だともいえる。19世紀末以降、社会生活が複雑化するにつれて、国家の管掌する職務が著しく増加し、それとともに国民生活に干渉する機会も多くなり、そこから、国家のもつ権限が飛躍的に巨大化することになった。このような状況のなかで、ばらばらの個人がこの国家権力を抑制し、個人的自由や要求を実現しようとしても、それは、フィッギスのいうように「幻想」であり、ラスキのいうように「荒野で叫ぶ声」にすぎない。そして、こうした国家権力の肥大化を思想的に支えていたものは、一元的国家論、すなわち包括的国家論や法学的国家主権論などであった。前者はヘーゲルやボーズンキットを代表者とする理論であり、後者はボーダンやオースティンなどの法学者の理論である。これらの理論は、国家と個人の意志の一体性や政治と倫理の同一性を説き、国家の積極的機能を是認し、国家権力の強化を主張する。また、たとえ部分社会や集団の存在を認めても、国家の内部に存在し、国家に従属するものとしてのみ承認するのである。多元的国家論は、こうした一元的国家論を批判し、政府と他の集団とを対等またはそれに近いものとみなし、このような観点から国家理論を新しく体系化したものである。それはおおむね以下に述べるような特徴をもっている。(1)社会と国家の区別 多元的国家論にあっては、共同社会と国家とを明確に区別する。それは、この両者の同一視が一元的国家理論、とくに国家主権の絶対性・至高性・不可分性の理論を派生する根拠となっているからである。つまり、社会と国家を同一視することから、共同社会全体を統治する国家万能の思想が派生してくる。それゆえ、それらを峻別(しゅんべつ)することは、一元的国家論の基盤を切り崩す前提になっているのである。(2)主権の可分性 一元的国家論が国家の主権性を強調するのに対し、多元的国家論では、共同社会内の教会、労働組合、学校などの部分社会や集団がそれぞれの領域内で主権を有していると主張するのである。部分社会や集団はいわゆる国家から独立し、独自の機能を遂行するもので、その正当な機能を遂行する限り国家の支配に服するものではない。だから、こうした主権は団体主権ともよばれているが、彼らはそれを単に理論的な要請としてだけでなく、事実としても肯定しているのである。(3)国家機能の限定 政府の機能は、ある限定された目的だけを遂行するもので、けっして全能的なものではないとする。この限定された機能とは、フィッギスによれば「正義の境界線」を越えないように集団の活動を調整することであり、ラスキによれば「構成員の善い生活」を促進することであった。
以上の特徴は、すでに述べたように、現代的条件のもとで人間の自由や要求をいかにして確保するかという課題に対する解答でもあった。たとえば、フィッギスが、「イギリスでは、自由は平等よりもはるかに民衆的な叫びであり、そしてわれわれが関心をもつのも実にこの自由に対してである」と述べ、また、ラスキが初期の著作において、「今日の問題は、フランス革命時代のように、人間の地位を社会生活の中心に回復することである。実にこれこそ真の自由の意味である」と述べているが、これらのことばは、彼らがいかなる問題意識をもってその理論化に取り組んでいたかを如実に示している。
このような意味で、多元的国家論は、一時代の批判思想としての意義を担い、そして人間性の回復のために貢献した。それゆえ、たとえ思想運動としては破産したとしても、その後の社会意識や社会制度のなかになんらかの形で生存していることは否定できない。とくに指摘すべきことは、アメリカの政治体系を説明し正当化する最近の多元的民主主義やニュー・フェデラリズムであるが、これらも多元的国家論の亜流として位置づけることができる。
[日下喜一]
『高田保馬著『社会と国家』(1922・岩波書店)』▽『中島重著『多元的国家論』(1922・内外出版)』▽『G・D・H・コール著、野田福雄訳『社会理論』(『世界思想教養全集 17』1920・河出書房)』
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…ヘーゲルの国家観はその代表的な例といえよう。20世紀に入ってイギリスやアメリカで盛んになった多元的国家論は,国家も多元的政治社会の一つにすぎないとして,その絶対化を拒否する試みであり,国家批判の側面をもっていたことはいうまでもない。 今日では,かつてヨーロッパに成立した国民国家の理念と制度が,ヨーロッパ以外の全世界に普及拡大するにいたっている。…
…マッキーバーがコミュニティに対してアソシエーションと呼んだものは大部分ここにいう機能集団であったが,ただマッキーバーは近代家族を,分化した機能の一つを引き受けている集団と見立てて,これをもアソシエーションに含めた。この観点からは国家もアソシエーションの一つとみなされ,この見解が20世紀初頭における〈多元的国家論〉の主張の裏づけとなった。ただL.vonウィーゼのように,国家を集団と呼ぶのは適切でないとして,集団とは別のカテゴリーである〈抽象的集合体abstrakte Kollektiva〉というような名称をこれに当てた者もある。…
…第1次世界大戦後の世界的な民主化の気運のなかで政党政治をめざす運動が民本主義を名乗り,国家法人説が憲法解釈に導入されたが,それが国体明徴の名の下に天皇機関説として葬られ,国民主権の原理が確認されたのは,敗戦後日本国憲法の制定過程においてにすぎない。 一方,ヨーロッパ諸国における民主化の進展,ことに労働運動の発展に伴う国家の枠内における多様な集団の存在の確認は,伝統的な主権概念に対する理論的批判,団体の固有性,したがって主権性を主張する学説(多元的国家論)を生み出した。この批判は必ずしも国家主権の暴力的契機に及ぶものではなかったが,戦争をする権利としての主権を制限する努力も,第1次大戦の惨禍への反省に支えられて不戦条約(1928)を生んだ。…
…自然科学主義的社会科学の傾向に反対して,人間行動の意志的創造性を強調した主意主義的社会行動論を説き,態度と利害関心を基礎概念にしてコミュニティcommunityとアソシエーションassociationの両類型にもとづく社会構造論を展開し,現代社会をさまざまな利害関心によって結成される多数のアソシエーションの錯綜する動的な過程としてとらえ,一元的決定論を排した独自の社会変動論を提示した。政治学においては,国家も特殊的ではあるが一つのアソシエーションにほかならないとする多元的国家論を説き,政治過程論,権力論にすぐれた研究を残した。主著に《コミュニティ》(1917),《社会》(1937),《社会的因果論》(1942),《政府論》(1947)がある。…
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