正親町公通(読み)おおぎまちきんみち

精選版 日本国語大辞典 「正親町公通」の意味・読み・例文・類語

おおぎまち‐きんみち【正親町公通】

  1. 江戸中期垂加流神道家。公家山崎闇斎正統後継者で、のち江戸で講義。その流を正親町神道とも称した。著「三種神器筆記」「無窮記」など。承応二~享保一八年(一六五三‐一七三三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「正親町公通」の意味・わかりやすい解説

正親町公通
おおぎまちきんみち
(1653―1733)

江戸前・中期の公家(くげ)で、垂加(すいか)派の神道家。藤原氏。号は白玉翁、守初斎、風水軒。承応(じょうおう)2年6月26日出生。累進して権大納言(ごんだいなごん)となり、武家伝奏(てんそう)も務めた。さらに従(じゅ)一位に上り、享保(きょうほう)18年7月12日没。1680年(延宝8)山崎闇斎(やまざきあんさい)に入門、1682年(天和2)闇斎の死とともに、その遺言によって垂加神道道統の中心となった。闇斎の主著『風水草』から三種神宝、神籬磐境(ひもろぎいわさか)の伝に関するものを抜いて『持授抄』を編み、また『風水草』に引用の『旧事(くじ)本義玄義』の文を取り出して『自従抄』と命名、いずれも垂加派の秘書として重んじられた。著書『無窮紀(むきゅうき)』では吉野朝(南朝)正統の立場にたって皇統の正系を示した。公通の口授を記録したものに『正親町公通卿口訣(くけつ)』がある。

[谷 省吾 2017年10月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「正親町公通」の意味・わかりやすい解説

正親町公通 (おおぎまちきんみち)
生没年:1653-1733(承応2-享保18)

江戸前・中期の公家,神道家。本姓は藤原。権大納言正親町実豊の子。母は中納言藤原為賢の娘。京都に生まれ,参議,中納言を経て1693年(元禄6)武家伝奏,95年権大納言となり,1712年(正徳2)従一位に叙せられた。古典,有職故実に通じ,1680年(延宝8)山崎闇斎に入門して垂加神道を学び,82年(天和2)闇斎の没後一門の中心となったため,垂加神道を正親町流の神道と呼ぶことがある。著書に,南朝正統を論じた《無窮紀》や《甲子祭考》,狂歌集《雅筵酔狂集》などがあり,門人に玉木正英,跡部良顕,吉見幸和らが出た。また江戸中期の女流文学者として知られる柳沢吉保の側室正親町町子は,公通の妹にあたる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「正親町公通」の意味・わかりやすい解説

正親町公通
おおぎまちきんみち

[生]承応2(1653).京都
[没]享保18(1733).7.12.
江戸時代の垂加流の神道家で,狂歌,狂文の作者としても知られる。前権大納言実豊の末子。風水軒,風水翁,白玉翁と称し,守初斎,須守霊社と号した。延宝8 (1680) 年山崎闇斎の門に入り,深く神道をきわめ,その秘奥を伝授された。闇斎の死の直前,天和2 (82) 年垂加神道の根本経典たる「中臣祓風水車」を伝授された。享保3 (1718) 年江戸に入り,芝西窪一乗寺で神道を講じた。著作に『三種神器筆記』『無窮紀』『雅筵酔狂集』,口授の書に『正親町公通卿口訣』などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「正親町公通」の解説

正親町公通 おおぎまち-きんみち

1653-1733 江戸時代前期-中期の公卿(くぎょう),神道家。
承応(じょうおう)2年閏(うるう)6月26日生まれ。延宝5年参議。武家伝奏,権(ごんの)大納言をつとめ,従一位となる。8年山崎闇斎(あんさい)に入門。その垂加神道をつぎ,正親町流神道とよばれた。享保(きょうほう)18年7月12日死去。81歳。号は風水軒,白玉翁。著作に「無窮紀」「三種神器筆記」など。

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367日誕生日大事典 「正親町公通」の解説

正親町公通 (おおぎまちきんみち)

生年月日:1653年6月26日
江戸時代前期;中期の神道家;公家
1733年没

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