江戸前・中期の公家(くげ)で、垂加(すいか)派の神道家。藤原氏。号は白玉翁、守初斎、風水軒。承応(じょうおう)2年6月26日出生。累進して権大納言(ごんだいなごん)となり、武家伝奏(てんそう)も務めた。さらに従(じゅ)一位に上り、享保(きょうほう)18年7月12日没。1680年(延宝8)山崎闇斎(やまざきあんさい)に入門、1682年(天和2)闇斎の死とともに、その遺言によって垂加神道道統の中心となった。闇斎の主著『風水草』から三種神宝、神籬磐境(ひもろぎいわさか)の伝に関するものを抜いて『持授抄』を編み、また『風水草』に引用の『旧事(くじ)本義玄義』の文を取り出して『自従抄』と命名、いずれも垂加派の秘書として重んじられた。著書『無窮紀(むきゅうき)』では吉野朝(南朝)正統の立場にたって皇統の正系を示した。公通の口授を記録したものに『正親町公通卿口訣(くけつ)』がある。
[谷 省吾 2017年10月19日]
江戸前・中期の公家,神道家。本姓は藤原。権大納言正親町実豊の子。母は中納言藤原為賢の娘。京都に生まれ,参議,中納言を経て1693年(元禄6)武家伝奏,95年権大納言となり,1712年(正徳2)従一位に叙せられた。古典,有職故実に通じ,1680年(延宝8)山崎闇斎に入門して垂加神道を学び,82年(天和2)闇斎の没後一門の中心となったため,垂加神道を正親町流の神道と呼ぶことがある。著書に,南朝正統を論じた《無窮紀》や《甲子祭考》,狂歌集《雅筵酔狂集》などがあり,門人に玉木正英,跡部良顕,吉見幸和らが出た。また江戸中期の女流文学者として知られる柳沢吉保の側室正親町町子は,公通の妹にあたる。
執筆者:大隅 和雄
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(白山芳太郎)
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