武昌起義(読み)ぶしょうきぎ(英語表記)Wu-chang qi-yi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

武昌起義
ぶしょうきぎ
Wu-chang qi-yi

宣統3 (1911) 年 10月 10日の武昌における反清武装蜂起で,辛亥革命の発端となった。当時武昌城内外に駐留していた湖北新軍は,早くから革命的知識人が入り込んで著しく急進化していたが,革命直前には中国革命同盟会黄興宋教仁,文学社の蒋翊武,共進会の孫武らが連絡を取って武装蜂起を計画した。おりから清朝の鉄道国有化反対の四川暴動が拡大,蜂起計画が促進された。しかし計画は思わぬ事故から指導者のいないまま実行されることになり,その結果,新しく成立した革命政府 (中華民国軍政府鄂省都督府) の長には捕虜の旅団長黎元洪が擁立された。こののち,1912年1月1日孫文を臨時大総統とする臨時中央政府が組織され,中華民国の成立が宣言された。

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武昌起義【ぶしょうきぎ】

中国,清末の1911年10月に起きた反乱で,辛亥革命のきっかけとなったもの。武昌革命,第一革命とも。1911年7月,清朝は財政再建策として外国からの借款による幹線鉄道の国有化を図ったが,民族資本による外国利権の回収と民営化に逆行する政策に対して各地で民衆の反対運動が起こり,四川では暴動も発生して全省で内乱状態になった(同年7月)。湖北省の長江中流域に位置する武漢は武昌(湖北省の省都)・漢口・漢陽とに分かれており,〈武漢三鎮〉と総称される政治・経済・軍事・交通上の要地であったが,武昌に司令部がおかれていた新軍(近代的武装訓練を施された陸軍で新建陸軍の略称。各地にあった)の下士官・兵士の間には,文学社・共進会など中国同盟会の影響を受けた革命団体が組織されていた。10月9日には文学社・共進会が合同の武装蜂起を計画したものの指導部が処刑・逃亡で不在状態になっていたが,革命派の下士官・兵士が翌10日に決起して一昼夜のうちに武漢三鎮を占領し,湖北軍政府の樹立を宣言,黎元洪を軍政府都督(民政・軍政の長官)に選出した。これが辛亥革命の発端となり,革命の火の手はたちまち各省に広がり,同盟会は新軍や会党(革命的秘密結社)を動員して各地に革命政権を樹立した。

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