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武村正義 たけむらまさよし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

武村正義
たけむらまさよし

[生]1934.8.26. 滋賀
政治家。 1962年東京大学経済学部卒業。自治省に入り,大臣官房調査官を経て 71年滋賀県八日市市長選に当選。任期なかばの 74年には滋賀県知事選に当選し,全国最年少知事となる。環境,文化行政などに手腕を発揮。またみずからの資産公開も行い政治の透明化につとめた。3期つとめたあとの 86年総選挙に初当選し,以後連続3回当選。リクルート事件発覚の 86年に自民党若手議員有志と「ユートピア政治研究会」を結成し,翌年研究会の有志 10人とともにみずからの「政治資金収支報告書」を発表するなど政治改革,政治浄化に情熱を傾けている。 93年6月には政治改革に対する自民党の対応に失望して同党若手議員 10人とともに離党し,「新党さきがけ」を結成,みずから代表となる。同年8月からは細川連立内閣の内閣官房長官をつとめたが,94年4月細川内閣総辞職後新党さきがけは連立を離脱。6月自民・社会2党と連立を組み,村山内閣の蔵相に就任。 96年 10月に新党さきがけの代表を辞任。

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百科事典マイペディアの解説

武村正義【たけむらまさよし】

政治家。滋賀県生れ。東大卒。1974年より3期滋賀県知事。1986年自由民主党から衆議院議員に当選。政治改革を訴え,1993年6月〈新党さきがけ〉を結成して代表となり,細川護煕(もりひろ)内閣では官房長官,1994年成立の村山富市内閣では大蔵大臣。1996年党分裂により代表を辞任。1998年7月の参議院選挙を前に代表に復帰するが,選挙で議席を獲得できず,同年9月〈新党さきがけ〉は事実上解党した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

武村正義 たけむら-まさよし

1934- 昭和後期-平成時代の政治家。
昭和9年8月26日生まれ。昭和37年自治省にはいる。46年郷里の滋賀県八日市市長となり,49年滋賀県知事。琵琶湖条例を制定した。61年自民党から衆議院議員(当選4回)。平成5年新党さきがけを結成,代表となり,細川連立内閣の官房長官。6年村山連立内閣の蔵相。東大卒。著作に「小さくともキラリと光る国・日本」など。

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世界大百科事典内の武村正義の言及

【55年体制】より


[55年体制の終焉とその後]
 さらに,80年代末になると,政治腐敗の噴出,派閥政治の横行,無党派層の増大といった55年体制の制度疲労の徴候がますます顕在化し,政治改革への声が加速度的に増幅されてきた。このような事態を背景にして起こったのが〈新党ブーム〉で,まず登場してきたのが,92年5月の細川護熙をリーダーとする日本新党であり,これに続く動きが,93年6月の武村正義らの自民党からの離党者による新党さきがけの,またその数日後の小沢一郎らのもう一つの自民党離党者グループによる新生党の,結成である。そして,その1ヵ月後に行なわれた総選挙で,自民党は,第一党の地位は保ったものの過半数の議席を得ることができず,非自民勢力の結束の前に,ついに38年間維持しつづけた政権の座を下りた。…

※「武村正義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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