細川護煕内閣(読み)ほそかわもりひろないかく

百科事典マイペディアの解説

細川護煕内閣【ほそかわもりひろないかく】

1993年8月9日〜1994年4月28日。連立内閣。1993年7月の衆議院選挙で自由民主党が過半数を割り,この選挙で躍進した新党(日本新党新生党新党さきがけ)および日本社会党民社党公明党社会民主連合,民主改革連合の非自民,非共産の7党(8会派)が連立を組み,日本新党党首細川護煕が首班となって組閣(副総理は新生党党首羽田孜)。自民党一党支配に終止符を打ったこの内閣の成立により〈55年体制〉は崩壊。細川首相は就任後初の記者会見で,先の戦争を侵略戦争と言明し,8月15日の全国戦没者追悼式では国の加害責任に言及。しかし外交,防衛政策では自民党政権の政策を継承するなど,連立内閣の基盤の弱さを示した。寄合い世帯であることは,1993年12月に中西防衛庁長官が改憲発言で辞任したことにも表れている。細川政権時代の重要決定としては,ウルグアイ・ラウンドに従ってコメの部分開放に踏み切ったことと,衆議院への小選挙区比例代表並立制導入を含む政治改革4法の成立があげられる。しかしバブル経済崩壊による不況対策には有効な政策を打ち出せず,また1994年2月には突如〈国民福祉税〉案を発表するなど(翌日撤回),足並みの乱れを示した。同月佐川急便グループからの資金提供問題が浮上,疑惑のなかで4月には退陣を表明,内閣総辞職。
→関連項目武村正義日本羽田孜羽田孜内閣連座連立政権

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

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