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村山富市内閣 むらやまとみいちないかく

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百科事典マイペディアの解説

村山富市内閣【むらやまとみいちないかく】

1994年6月30日〜1996年1月11日。羽田孜(つとむ)内閣総辞職後,自由民主党日本社会党新党さきがけの3党が連立を組み,社会党委員長村山富市が首班となって組閣(副総理,外相に自民党総裁河野洋平)。
→関連項目55年体制武村正義橋本龍太郎橋本龍太郎内閣防衛計画大綱村山談話連立政権

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

村山富市内閣
むらやまとみいちないかく

(1994.6.30~1996.1.11 平成6~8)
自由民主党、日本社会党、新党さきがけの3党が推す社会党委員長の村山富市を首班として発足した連立政権。社会党の首相は2人目で、1947年(昭和22)の片山哲以来。「人にやさしい政治」を掲げたが、指導力の欠如と、自民、社会の連立への疑問などから、内閣支持率は終始、低迷を続けた。ただ、社会党出身で懸念された自衛隊、安保政策では、1994年(平成6)7月の臨時国会で、村山首相は自衛隊違憲から合憲への政策転換を表明、日米安保堅持も明確にした。原爆被爆者援護法の成立、水俣病問題の解決など戦後処理や弱者救済に力を入れ、社会党カラーを見せた。
 しかし、1995年1月に起きた阪神・淡路(あわじ)大震災では初動態勢の遅れから、政府の危機管理が問われた。また同年3月の地下鉄サリン事件では、オウム真理教関連事件に対する破壊活動防止法の団体規制適用で慎重姿勢を取り続けた。同年7月の参議院選挙で、社会党は16議席と大敗した。与党は改選総数の過半数を辛うじて確保したため、8月8日に改造内閣を発足させた。
 しかし、9月に沖縄県で米兵による小学生女児暴行事件が発生したことで、県知事の米軍用地強制使用手続きの代理署名拒否に発展、最終的に首相自ら署名するにいたったが、指導力の不足が混乱を招いた。さらに、住宅金融専門会社の不良債権処理策で、財政資金投入により損失を穴埋めする方針を決めたものの、世論の批判の高まりのなかで、1996年1月、予算案審議を前に突然、総辞職した。[水野雅之]

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