新党さきがけ(読み)シントウサキガケ

デジタル大辞泉 「新党さきがけ」の意味・読み・例文・類語

しんとう‐さきがけ〔シンタウ‐〕【新党さきがけ】

平成5年(1993)自由民主党離党した武村正義らが結成した保守政党細川村山の両連立内閣に参加。平成8年(1996)に菅直人鳩山由紀夫ら幹部が離脱民主党を結成すると衰え、平成16年(2004)に解散した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「新党さきがけ」の意味・わかりやすい解説

新党さきがけ
しんとうさきがけ

武村正義(たけむらまさよし)(1934―2022)ら、当時自由民主党(自民党)に所属していた衆議院議員1~2回生10人が、1993年(平成5)6月に結成した政党。1993年6月18日、宮沢喜一内閣不信任決議案が可決され、衆院が解散された直後に自民党を離党、同月21日に結成、7月の衆院選挙で13人に増やした。代表は武村正義。細川護熙(もりひろ)連立政権発足にあたっては、武村が官房長官、事務局長の鳩山由紀夫(はとやまゆきお)(その後、民主党)が官房副長官に就任したほか、田中秀征(しゅうせい)(1940― 、1998年離党)が首相特別補佐官になるなど細川首相を全面的に支える体制をとった。党の政治理念として、「自立と責任、社会的公正が貫かれた質の高い、実のある『質実国家』」を目ざすとともに、憲法の尊重、政治的軍事的大国主義の否定、地球環境保全への積極的取組み、抜本的な政治改革の実現を強調。政策面では、国連の強化、国際安全保障体制の整備、新政治首都の建設、行政の抜本改革などを提唱した。しかし、武村らは小沢一郎新生党代表幹事(当時)との対立を深め、1994年4月の細川内閣総辞職を機に閣外協力に転じた。反小沢勢力の自民、社会両党と連携を強め、1994年6月の羽田孜(はたつとむ)内閣総辞職後に、村山富市(とみいち)社会党委員長を首相候補として推し、自民、社会、さきがけ3党による連立政権を成立させた。しかし、1996年夏になると、社会民主党全体との新党合流を主張する武村と、丸ごとの合流に反対する鳩山由紀夫の対立から、鳩山や菅直人(かんなおと)らが離党し、党は分裂にいたった。1996年10月の衆院選では当選者2人の惨敗に終わり、第二次橋本龍太郎内閣には「閣外与党」の立場で臨んだが、1998年6月には閣外協力関係を解消。同年7月の参議院選挙では議席を得られず、9月に事実上解党した。党に残った武村は10月に党名を「さきがけ」に改め、参議院議員の奥村展三(てんぞう)(1944― )とともに党を存続させた。しかし2000年(平成12)の総選挙で武村が落選(滋賀2区)するなどすべての国会議員の議席を失う。2001年唯一地方組織として残っていた「さきがけ滋賀」が民主党滋賀県連と合併、党名も消減した。

[橋本五郎]

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百科事典マイペディア 「新党さきがけ」の意味・わかりやすい解説

新党さきがけ【しんとうさきがけ】

1993年6月に自由民主党を集団離党した武村正義らが結成した政党。政治改革を訴え,日本新党細川護煕(もりひろ)を首班とする連立内閣で武村が官房長官になったが,1994年の新生党羽田孜(つとむ)を首班とする連立内閣からは離脱し,閣外協力に転じた。同年6月,自民党,日本社会党と連立内閣を組織するも,1996年9月の民主党結成に際し鳩山由紀夫らが離党して党は分裂。同年10月の総選挙で壊滅的な敗北を喫し,連立から離脱(ただし閣外協力)。党分裂の責任をとって武村は代表を退いていたが,1998年7月の参議院選挙を前に復帰。しかし同選挙で当選者を出せず,同年9月事実上解党した。
→関連項目55年体制日本橋本龍太郎橋本龍太郎内閣羽田孜内閣細川護煕内閣宮沢喜一内閣村山富市村山富市内閣

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新党さきがけ」の意味・わかりやすい解説

新党さきがけ
しんとうさきがけ

日本の政党。1993年6月22日,自由民主党の旧弊体質や政治改革の挫折に失望して同党を集団離党した武村正義鳩山由紀夫ら若手改革派議員 10人によって結成された。保守リベラル路線をとり,代表は武村が務めた。同 1993年7月の衆議院議員総選挙で 13人が当選。選挙後,日本新党と統一会派「さきがけ日本新党」を結成。同年 8月,非自民 7党 1派の連立政権に参加,日本新党代表の細川護煕が内閣総理大臣,武村が官房長官に就任した(→細川連立内閣)。1994年4月細川内閣総辞職後は連立を離脱,閣外協力をしていたが,6月に自由民主党,日本社会党と連立を組み,村山富市内閣に参加,武村は大蔵大臣に就任した。1996年1月村山首相辞任に伴い武村も蔵相を辞任したが,連立の枠組みは崩さず,代わった橋本龍太郎内閣に参加。同 1996年9月,鳩山代表幹事らが民主党を結成し,所属議員の大半が民主党へ移籍,さらに 10月の総選挙で 2人しか当選せず惨敗した。1998年7月の参議院議員通常選挙を前に連立を離脱し選挙に臨んだが議席を得られず解党し,さきがけに改称した。さきがけは 2000年の総選挙で 2人が落選,衆議院議員はゼロになり,2002年に解党した。(→55年体制

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「新党さきがけ」の解説

新党さきがけ
しんとうさきがけ

1993年(平成5)6月21日に発足した保守リベラル派の政党。宮沢内閣不信任案可決をきっかけに,自民党から脱党した議員で結成。初代党首武村正義を中心とし,現憲法の尊重,軍事大国化への反対を掲げた。細川・村山・第1次橋本内閣で,連立ながら政権党の一つとなった。96年の民主党結成に所属議員の多くが参加し,分裂。

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