武村耕靄(読み)タケムラ コウアイ

20世紀日本人名事典 「武村耕靄」の解説

武村 耕靄
タケムラ コウアイ

明治・大正期の日本画家,教育者 女子高等師範学校教授。



生年
嘉永5年1月(1852年)

没年
大正4(1915)年6月6日

出生地
江戸・芝(現・東京都港区)

本名
武村 千佐子

別名
別号=玉蘭軒

学歴〔年〕
共立女学校

主な受賞名〔年〕
日本絵画協会絵画共進会一等褒状(第1回)〔明治29年〕「晃山戦場原秋草図」

経歴
仙台藩士の娘として生まれる。はじめ山本琴谷に絵の手ほどきを受け、元治1年(1860年)より南北合派の日本画家・春木南溟師事。のちには川上冬崖から洋画も学んだ。明治維新後の一時期、禄を失った家族を養うために輸出用の扇面画を描く。横浜の共立女学校を卒業後、工部省の通訳・絵画助教などを経て明治9年に東京女子師範学校教諭となり、英語や絵画を教えた。フェノロサ狩野芳崖の画論に影響を受けて制作に邁進し、29年の第一回日本絵画協会絵画共進会に「晃山戦場原秋草図」を出品し、一等褒状を受賞。他にも龍池会や日本画会などでも活動し、日本南宗画会では幹事を務めた。この間、明治19年東京女子高等師範学校教授に就任。自作の絵を用いた図画教科書を作成するなど、草創期の図画教育に重要な役割を果たした。31年に教職を辞したのちは、東京小石川に画塾を開き、引き続いて絵画の指導に当たった。40年文展開設に際し、評議員として正派同志会の結成参画晩年鎌倉に住んだ。作品は他に「牡丹」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武村耕靄」の解説

武村耕靄 たけむら-こうあい

1852-1915 明治-大正時代の教育者,画家。
嘉永(かえい)5年1月生まれ。春木南溟(なんめい)に日本画を,川上冬崖(とうがい)に洋画をまなぶ。女子高等師範(現お茶の水女子大)教授となり,英語と絵画をおしえる。自作の絵をもちいて図画教科書をつくった。大正4年6月6日死去。64歳。江戸出身。共立女学校卒。本名は千佐子。別号に玉蘭軒。作品に「牡丹(ぼたん)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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