改訂新版 世界大百科事典 「図画教育」の意味・わかりやすい解説
図画教育 (ずがきょういく)
絵画や図案,彫塑,製図などの造形活動を通じて人間形成をはかる教育。第2次大戦前では図画科という名前で図画教育が行われていたが,今日,その名称は小学校においてのみ図画工作科という形で残っている。しかし,これも中学校,高等学校の美術科,芸術科と同様に美術教育をめざす教育になっている。
図画教育と美術教育はともにart educationとして,その内容で重なるところは多いが,歴史的にみると,その発想では異なっている。欧米の普通教育に図画教育が取り入れられるのは19世紀以後のことであった。イギリスでは産業革命による工業化に応じて,1837年に国立図案学校が設立され,51年の万国博覧会を機に美術工芸教育を求める運動が興ってきた。その内容も工芸的色彩が強く,直線,曲線,図形,立方体,円錐形,透視図,投影図といった幾何学的な製図や模写をめざすものであった。このような臨画による画学的な性格はイギリスだけでなく,アメリカ,ドイツ,フランスなどの初期の図画教育にみられるものであった。その後,児童心理学による児童画研究の高まりにより,図画教育を美術教育としてめざすようになった。
日本においても,図画が学校教育にはじめて取り入れられた1872年(明治5)の〈学制〉の〈幾何学罫(けい)画大意〉や〈画学〉は,作図のための科学教科の補助学科的性格のものであった。この傾向は91年の〈小学校教則大綱〉においても〈図画ハ眼及手ヲ練習シテ通常ノ形体ヲ看取シ正シク之ヲ画クノ能ヲ養ヒ兼ネテ意匠ヲ練リ形体ノ美ヲ弁知セシムルヲ以テ要旨トス〉と,近代工業と富国強兵をめざして労働者の目と手を訓練する臨画主義の図画教育として続いていった。その内容も〈凡ソ画ヲ学ブモノハ先ツ誨フルニ縦横斜ノ直線及ビ弧線ヲ描クヨリ刱ム〉と製図の訓練方法からくるものであった。この教育は美術教育をめざした山本鼎の自由画教育運動によって批判されるが,長く日本の図画教育を性格づけていった。
図画教育は画学,図学の伝統をひいているゆえに,鉛筆,ペン,クレヨン,木炭などによる描線のdrawingを中心にした教育の性格をもつが,今日では美術教育による人間形成をめざす教育となっている。
→工作教育 →美術教育
執筆者:上野 浩道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報