武田久吉(読み)タケダ ヒサヨシ

20世紀日本人名事典 「武田久吉」の解説

武田 久吉
タケダ ヒサヨシ

明治〜昭和期の植物学者,登山家



生年
明治16(1883)年3月2日

没年
昭和47(1972)年6月7日

出生地
東京

学歴〔年〕
英国王立理科大学〔大正1年〕卒

学位〔年〕
理学博士(東京帝大)〔大正5年〕

主な受賞名〔年〕
勲四等旭日章〔昭和39年〕

経歴
府立一中時代、植物の研究を志し、日本博物学同志会に参加し「博物之友」を創刊。また明治38年には日本山岳会創立に参加し、のち会長。39年日本で初めて尾瀬を紹介。43年〜大正5年英国留学し、のち京都帝大、九州帝大、北海道帝大で植物学を講じた。日光、尾瀬、白馬岳など全国各地で研究登山を行ない、論文紀行等を発表し、昭和5年「尾瀬と鬼怒沼」を刊行戦後はGHQ天然資源局農林部顧問、29年にはAFFEの技術顧問を務めた。また日本自然保護協会評議員、国立公園協会評議員などを歴任し、尾瀬沼などの自然保護運動にも努めた。平成11年遺族や関係者の寄贈による植物スケッチノート、手紙、植物研究メモのほか、蛇腹式カメラなど研究資料や尾瀬に関する一級資料など約300点を展示した武田久吉メモリアルホールが桧枝岐村にオープンする。その他著書に「高山植物写真図聚」「明治の山旅」「富士山」「民俗と植物」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「武田久吉」の意味・わかりやすい解説

武田久吉
たけだひさよし
(1883―1972)

植物学者、登山家。イギリス外交官アーネスト・サトーの二男として東京で生まれる。東京外国語学校、ロンドン大学、バーミンガム大学に学ぶ。中学時代、植物研究から博物学同志会に参加。さらに1905年(明治38)同志とともに日本山岳会を創立した。日本各地の山に登り、高山植物の研究を行い、とくに尾瀬の発見者、保護者として知られる。『尾瀬と鬼怒(きぬ)沼』『原色高山植物図鑑』などを著した。京都大学、北海道大学、九州大学で植物学を講じる。第6代日本山岳会会長、初代日本山岳協会(現、日本山岳・スポーツクライミング協会)会長。1970年(昭和45)には秩父宮(ちちぶのみや)記念学術賞も受けた。

[徳久球雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田久吉」の解説

武田久吉 たけだ-ひさよし

1883-1972 明治-昭和時代の登山家,植物学者。
明治16年3月2日生まれ。アーネスト=サトーの次男。明治38年小島烏水(うすい)らと日本山岳会を設立。第6代日本山岳会会長,初代日本山岳協会会長などをつとめた。京都,九州,北海道の3帝大で植物学をおしえ,尾瀬沼の紹介者としても知られる。昭和47年6月7日死去。89歳。東京出身。イギリス王立理科大卒。著作に「尾瀬と鬼怒(きぬ)沼」「民俗と植物」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「武田久吉」の解説

武田 久吉 (たけだ ひさよし)

生年月日:1883年3月2日
明治時代-昭和時代の植物学者;登山家
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の武田久吉の言及

【サトー】より

…学者,外交官のサトーに著述は多いが,日本研究では《日本耶蘇会刊行書志The Jesuit Mission Press in Japan,1591‐1610》(1888),外交史の研究では1917年に初版が刊行され,現在改訂第5版が出ている《外交実務案内Satow’s Guide to Diplomatic Practice》(1979)が代表的なものである。その子武田久吉(1883‐1972)は植物学者で,小島烏水らと日本山岳会を創設,尾瀬沼の保護につとめたことで知られる。【萩原 延寿】。…

※「武田久吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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