東京都北西部、狭山丘陵(さやまきゅうりょう)南西部にある市。1970年(昭和45)北多摩(きたたま)郡村山町が市制施行して武蔵村山市と改称。東村山市と同じように平安時代末から武蔵七党の一つ村山党の領域であったことが地名の由来。狭山丘陵の一部を除いて武蔵野台地が広く、空堀(からぼり)川、残堀(ざんぼり)川の谷が刻んでいる。江戸時代に青梅(おうめ)街道沿いに新田が開発され、長く農村地域で都市化は遅れた。1966年都営住宅として最大級の村山団地完成を機に人口が倍増、ベッドタウンに変貌した。三ツ木(みつぎ)周辺は村山大島紬(つむぎ)の産地で知られ、丘陵付近は狭山茶の特産地。ほかにホウレンソウやコマツナのハウス栽培や狭山丘陵南斜面でのみかん栽培が知られる。1962年南部に自動車工場が進出、関連企業も立地して都市化が進んだが、同自動車工場は経済状況の変化により2001年(平成13)3月末をもって自動車生産を中止した。周辺は精密機器等の工場があり、工業団地となっている。市の西側境界は米軍横田基地に接している。北部に野山北・六道山(ろくどうやま)公園がある。面積15.32平方キロメートル、人口7万0829(2020)。
[沢田 清]
『『村山町史』(1968・村山町)』▽『『武蔵村山市史 資料編』全4巻(1999~2000・武蔵村山市)』▽『『武蔵村山の民具』全3巻(1997~1999・武蔵村山市)』▽『『武蔵村山の民俗』全4巻(1996~1999・武蔵村山市)』
東京都中北部の市。1970年村山町が市制,改称。人口7万0053(2010)。市域は狭山丘陵南麓に位置し,青梅街道沿いに発達した村山は,中世に形成された街村に起源をもつ。中世の武士団,武蔵七党の一つ村山党の拠点としても知られる。江戸時代から畑作主体の農業が行われ,狭山丘陵寄りでは狭山茶の栽培が普及した。幕末以来盛んになった木綿の村山絣は明治期に入って全盛期を迎えたが,その後織物業の中心は絹織物の村山大島紬に移り,現在も伝統産業として受け継がれている。第2次大戦中に東京陸軍少年飛行学校など軍の施設が設けられ,一部で市街地化がみられた。1960年代に大規模な自動車工場や都営村山団地の立地が契機となって工場進出や住宅団地の建設が相次ぎ,人口も増加した。
執筆者:井内 昇
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