デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永縁」の解説 永縁 ようえん 1048-1125 平安時代後期の僧。永承3年生まれ。母は大江公資(おおえの-きんより)の娘。法相(ほっそう)宗。興福寺の頼信(らいしん)に師事。維摩会(ゆいまえ),宮中の最勝会(さいしょうえ)の講師をつとめ,以後元興寺,大安寺,法隆寺などの別当をへて,保安(ほうあん)2年興福寺別当,天治(てんじ)元年権僧正。和歌にたくみで「金葉和歌集」などに詠歌がある。天治2年4月5日死去。78歳。俗姓は藤原。通称は初音(はつねの)僧正。「えいえん」ともよむ。【格言など】聞くたびにめづらしければ郭公(ほととぎす)いつも初音の心地こそすれ(「金葉和歌集」) 永縁 えいえん ⇒ようえん 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「永縁」の解説 永縁 没年:天治2.4.5(1125.5.9) 生年:永承3(1048) 平安後期の法相宗の学僧。「えいえん」ともいう。別称初音僧正。歌をよく詠み『金葉和歌集』に13首収録されている。父は藤原永相。9歳で父を亡くしたのち,奈良に赴き興福寺一乗院頼信に師事した。応徳2(1085)年,母の期待に応え維摩会講師を勤めるに至った。以後,元興寺,大安寺,法華寺,清水寺,興福寺などの別当を勤める。その間,権律師,権少僧都,権大僧都などを歴任し,保安5(1124)年には権僧正に転じた。維摩会以外にも法華八講,最勝会などの講師,永久6(1118)年には最勝寺の供養導師を勤めた。晩年は興福寺別院の花林院に住した。 (追塩千尋) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by