南北アメリカ大陸諸国が政治、経済、軍事などの領域で協力しあおうという運動。1820年代に新興独立のラテンアメリカ諸国が主として旧宗主国スペインなどの干渉を排除することを目的として1826年のパナマ会議を契機に発足した経緯があることから、この時代にはアメリカ合衆国はこの運動にさほど関心をもたなかった。だが、それ以降今日に至る汎アメリカ主義は、合衆国の主唱で1889年ワシントンにおいて汎米会議が開かれたとき、初めて合衆国中心の存在として成立した。それはアメリカの経済的利益を守り、中南米をアメリカの経済的・政治的勢力圏として組み込んでいくイデオロギー的支柱となってきた。このため域内の関税同盟が組織され、常設機構としての汎米ユニオンもつくられた。だが、第二次世界大戦前にすでにアメリカの中南米諸国への内政干渉に対して反発も強く、それはニューディール期の内政干渉否定の「善隣外交」のもとでも完全には払拭(ふっしょく)されなかった。しかし1930年代末ファシズムの中南米への脅威のもとで、汎アメリカ主義は再生し、共同防衛と経済協力の実績は大いに前進したが、ここでも汎アメリカ主義は西半球諸国を合衆国の勢力圏として組織化していく一助となった。
第二次大戦後、米州相互援助条約(1947)の締結に続いて、翌年ボゴタ憲章で米州機構(OAS)が成立、汎アメリカ主義は1950年代央のグアテマラ人民政権の打倒を経て制度的に定着し、キューバ革命(1959)後は同国をOASから除籍して、アメリカの反共安全保障機構および西半球経済制覇構造としての性格を強めた。だが、60年代初めのケネディ政権の「進歩のための同盟」政策は裏目に出て、チリ人民連合の勝利(のち倒壊)をはじめ、ニカラグアのサンディニスタ革命政権の成立、コスタリカ、エルサルバドルなど周辺諸国の動揺、中南米全域での非同盟・中立化運動の台頭、メキシコ以南の多くの国々の非核化運動の前進、わけても中南米諸国の3000億ドル以上の累積債務は、この地域の政治的不安定と民族運動を大いに助長しており、汎アメリカ主義は制度としてもイデオロギーとしても、いまや有名無実と化そうとしている。
[陸井三郎]
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