エルサルバドル えるさるばどる Republic of El Salvador 英語 República de El Salvador スペイン語
中米地峡(南北アメリカ大陸をつなぐ紐(ひも)状の細長い地域)のほぼ中央に位置し、中米7か国のなかでもっとも国土面積が小さく、人口密度がもっとも高い熱帯の国。面積2万1040平方キロメートルは日本の四国と淡路島(あわじしま)を合わせた広さである。正式名称はエルサルバドル共和国República de El Salvador。
スペイン人が到来する以前の15世紀には、ピピル、レンカ、ポコマム、メダガルパ、ウルアなどの先住民族が居住しており、この地域は「宝石の土地」を意味するクスカトランとよばれていた。1524年にスペイン人征服者ペドロ・デ・アルバラードPedro de Alvarado(1485―1541)の率いる征服隊がこの地に到着し、翌1525年にサン・サルバドルを建設した。そして1821年にスペインから独立するまでヌエバエスパーニャ(メキシコ)副王領グアテマラ総督領の一部としてスペインの植民地支配下におかれた。スペインが征服した当時の先住民の人口は約15万人と推定されているが、植民地時代を通じてこの地に定住したスペイン人の数は1500人ほどにすぎなかった。しかしこれらのスペイン人が持ち込んだ未体験の疾病、征服の過程で起こった戦闘と虐殺、その後の植民地政策による過酷な労働によって、先住民の人口は激減した。
第二次世界大戦後の民主化運動のなかで改革のための政治が行われた時期もあったが、1961年から1979年にかけて軍部が後押しする右派の国民融和党(PCN:Partido de Conciliación Nacional)が18年間にわたって政権を独占した。同時にこの間、反政府運動が激化し、左翼ゲリラによる外国大使館の占拠や政府・財界の要人暗殺、誘拐事件が多発した。そして1979年のニカラグア革命に触発された反政府運動を展開するゲリラ諸集団は、1980年にファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN:Frente Farabundo Martí de Liberación Nacional)を結成した。1992年1月に国連の調停によって政府とFMLNとの間で和平合意文書が調印されるまでの間、FMLNと政府軍は激しく戦火を交えた。12年間に及んだこの悲惨な内戦は約7万5000人の死者と100万人を超す難民・国外脱出者を生み、国内経済を極端なまでに疲弊させた。
三権分立による立憲共和体制をとり、現行の憲法は1983年に制定されたものである。国家元首である大統領は副大統領とともに18歳以上の国民の直接選挙によって選出され、任期は5年で連続再選が禁止されている。議会は任期3年の議員84名で構成される一院制。全国14県からなる地方行政は、大統領の指名する知事が統括する中央集権体制である。主要政党には、2011年時点で政権与党のファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)のほかに、右派の民族主義共和同盟(ARENA)、キリスト教民主党(PDC:Partido Demócrata Cristiano)、国民自由党(PLN:Partido Nacional Liberal)などがある。1989年以来実権を握ってきた親米右派ARENAが擁立した大統領候補を破って2009年に成立したフネスFMLN政権は、従来の対米関係の保持を掲げながらも、1959年に外交関係を断絶したキューバとの国交を再開し、台湾との外交関係を保持し、中米統合機構(SICA:Sistema de la Integración Centroamericana。中央アメリカ諸国の政府間組織)および2011年12月に発足したラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC:Comunidad de Estados Latinoamericanos y Caribeños)に参加している。
[国本伊代]
経済
国土が狭く、人口が過密なうえに、地下資源をもたないこの国の経済活動のなかで、2009年時点でも労働人口の約20%が従事する農林牧畜業は依然として重要な経済活動であるが、GDPに占める割合は12%で、1990年代末から産業構造の変化が進んでいる。経済活動で最大の部門であるサービス産業はGDPの約60%を占め、製造業部門は一次産業を抜いて28%となった(2010)。しかし個別の産品でみると、伝統的な輸出産品であるコーヒーは依然として輸出品目の第1位(8%台)を占めている。コーヒーの栽培は1840年代に始まり、それまでもっとも重要な輸出産品であった染料のインディゴ(藍(あい))にとってかわり、以後主要な経済活動となっている。主産地は南西部のサンタ・アナ火山南西山麓(さんろく)の標高600メートルを超える高原地帯で、全生産量の3分の2を占めている。なおエルサルバドルでは中米共同市場(CACM:Central American Common Market)が機能していた1960年代に工業化が進み、比較的高い経済成長をとげたが、1970年代後半から富の極端な偏在と経済の悪化のなかでゲリラ活動が活発となって内戦状態に陥ったため、国民1人当りの所得は1980年代を通じて急落した。壊滅的な打撃を受けた国内経済は、1992年に和平交渉が成立したあと日本を含む国際的な支援を受けて復興への取組みが続けられている。工業は中米諸国のなかではもっとも進んでおり、繊維、靴、医薬品、食料・飲料水などの加工製造業が急速に回復しつつあり、これらの軽工業製品の輸出がコーヒー、砂糖、綿花などの伝統的な輸出商品にかわろうとしている。
基本情報 正式名称=エルサルバドル共和国República de El Salvador/Republic of El Salvador 面積=2万1041km2 人口(2010)=618万人 首都=サン・サルバドルSan Salvador(日本との時差=-15時間) 主要言語=スペイン語(公用語) 通貨=エルサルバドル・コロンSalvadoran Colón
エルナンデス・マルティネス政権は44年10月のクーデタで倒され,48年12月にも再度,オスカル・オソリオÓscar Osorio大佐たちのクーデタが起こる。50年に現行憲法が制定され(1962一部改定),56年の大統領選挙ではホセ・マリア・レムスJosé María Lemusが選出された。この間,1951年10月には中米5ヵ国が同国に集まり,サン・サルバドル憲章を採択して,中央アメリカ機構を設立している。コーヒー価格の好調に支えられて,経済発展政策が実施され,住宅・学校の拡充,レンパ水力発電所の建設などが行われた。