エルサルバドル(読み)えるさるばどる(その他表記)Republic of El Salvador 英語

共同通信ニュース用語解説 「エルサルバドル」の解説

エルサルバドル

中米の太平洋側に位置。面積は九州の約半分ほどの2万1041平方キロメートル、人口は約645万人。2019年に同国史上最年少の37歳で大統領に就任したブケレ氏は発信にツイッターを駆使するなど新世代の政治家として人気が高いが、強権的な手法に国際社会から懸念も出ている。18年に台湾と断交し中国と国交樹立。殺人犠牲者数は世界最悪レベルで米国を目指す移民が多い。(サンパウロ共同)

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精選版 日本国語大辞典 「エルサルバドル」の意味・読み・例文・類語

エル‐サルバドル

  1. ( El Salvador ) 中央アメリカ太平洋岸の共和国。一五二四年以来スペインの植民地。一八二二年、近隣五か国による中米連邦を経て、四一年独立。コーヒー、綿花などを産する農業国。首都はサンサルバドル

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エルサルバドル」の意味・わかりやすい解説

エルサルバドル
えるさるばどる
Republic of El Salvador 英語
República de El Salvador スペイン語

中米地峡(南北アメリカ大陸をつなぐ紐(ひも)状の細長い地域)のほぼ中央に位置し、中米7か国のなかでもっとも国土面積が小さく、人口密度がもっとも高い熱帯の国。面積2万1040平方キロメートルは日本の四国と淡路島(あわじしま)を合わせた広さである。正式名称はエルサルバドル共和国República de El Salvador。

 北東部をホンジュラスと、北西部をグアテマラと国境を接し、南は長い海岸線で太平洋に面しているが、カリブ海に面していない中米地峡の唯一の国である。人口699万1000(2006年推計)、630万(2012年推計)、首都サン・サルバドルの人口は約50万。不法滞在者を含めたアメリカ在住の同国人は約250万人である。

[国本伊代]

自然

太平洋岸に沿って東西に長方形に広がる国土は、南部と北部で東西に走る二つの山脈によって太平洋岸東部の低地、南西部の山岳地帯、北部山岳地帯および山間の標高700~1000メートルの高原地帯の四つの地域に分かれている。国土の約5分の2を占める高原地帯ではレンパ川とサン・ミゲル川の渓谷が各地を寸断しているため、農牧地帯は狭隘(きょうあい)な平地と山間盆地に点在する。国内最大の河川であるレンパ川は、隣国のグアテマラとホンジュラスの高地に源をもち、起伏の多い国土を貫流して海岸平野を通過し太平洋に注ぐが、その氾濫(はんらん)原は雨季に浸水し、乾季に乾燥原となる。海岸地帯の東部平原は全般的に肥沃(ひよく)な農業地帯で、この国の主要な農産物であるコーヒー、サトウキビトウモロコシなどはここで生産される。国土の3分の1を占める南西部の山岳地域には20以上の活火山があり、この国の高峰の一つサンタ・アナ火山(2181メートル)や最大の湖イロパンゴ湖がある。北部山岳地域は国土の15%を占め、最高峰エル・ピタル山(2730メートル)を擁している。このような国土からなるこの国の気候は、熱帯にありながらも地域によって多様である。海岸地帯は高温多湿であるが、高度が高くなるほど涼しくなる。標高約700メートルに位置する首都サン・サルバドルの年間平均気温は23.3℃で、年間の気温差はあまりない。5月から10月までが雨期で、年間雨量は1700ミリメートル前後である。環太平洋火山帯上に首都が位置するほか、各地に多くの活火山があるため、火山の噴火と地震による被害はつねに甚大なものとなる。サン・サルバドルは1854年の地震で全壊した。また1986年には死傷者2万人を超す大地震にみまわれた。2001年の地震でも死者1259人、被災者150万人を出した。

[国本伊代]

歴史

スペイン人が到来する以前の15世紀には、ピピル、レンカ、ポコマム、メダガルパ、ウルアなどの先住民族が居住しており、この地域は「宝石の土地」を意味するクスカトランとよばれていた。1524年にスペイン人征服者ペドロ・デ・アルバラードPedro de Alvarado(1485―1541)の率いる征服隊がこの地に到着し、翌1525年にサン・サルバドルを建設した。そして1821年にスペインから独立するまでヌエバエスパーニャ(メキシコ)副王領グアテマラ総督領の一部としてスペインの植民地支配下におかれた。スペインが征服した当時の先住民の人口は約15万人と推定されているが、植民地時代を通じてこの地に定住したスペイン人の数は1500人ほどにすぎなかった。しかしこれらのスペイン人が持ち込んだ未体験の疾病、征服の過程で起こった戦闘と虐殺、その後の植民地政策による過酷な労働によって、先住民の人口は激減した。

 1821年に旧グアテマラ総督領の一部としてスペインから独立したが、植民地時代に中米地域を統治していた旧メキシコ副王領の独立によって1822年に帝政メキシコに統合され、1824年に旧グアテマラ総督領を形成していたグアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアおよびコスタリカとともに中米連邦共和国(1824~1840)として独立し、1834年にサン・サルバドルが中米連邦共和国の首都となった。しかし中米連邦共和国は各地域の利害関係や統治・行政のあり方などをめぐって対立して崩壊し、エルサルバドルは1841年に独立国家となった。独立後の政治・経済の混乱期を経たのち、1870年代になって自由主義改革が実現し、同時にコーヒー輸出経済が発展すると、政治が安定した。コーヒーの輸出に依存するコーヒー・モノカルチャー(単一栽培)経済の発展は土地の集中を加速化させ、いわゆる「14家族」として知られる富裕家族が寡頭(かとう)支配体制を確立し、少数の富裕層が富を独占する経済・社会構造をつくりあげた。

 しかし1929年の世界恐慌によってコーヒーの輸出に依存する経済構造は壊滅的な打撃を受けた。

 国民の大多数が貧困にあえぐ1932年に、社会主義革命政権の樹立を目ざすファラブンド・マルティAgustín Farabundo Martí(1893―1932)の指揮する農民と労働者が武装蜂起(ほうき)した。この武装蜂起は政府軍によって制圧され、3万人以上が虐殺されると同時にマルティ自身も捕らえられて銃殺された。その後は第二次世界大戦を挟んで、軍事独裁政権および軍部に支援された保守政権と反政府勢力との間で熾烈(しれつ)な戦いが長期にわたって断続的に繰り広げられた。この間の1931年から1944年まで実権を握ったエルナンデス・マルティネスMaximiliano Hernández Martínez(1882―1966)の軍事政権は、ヨーロッパのナチズムとファシズムに共鳴して親枢軸政策(アメリカ、イギリス、フランスなどの連合国と対立するドイツとイタリア寄りの政策)をとった。

 第二次世界大戦後の民主化運動のなかで改革のための政治が行われた時期もあったが、1961年から1979年にかけて軍部が後押しする右派の国民融和党(PCN:Partido de Conciliación Nacional)が18年間にわたって政権を独占した。同時にこの間、反政府運動が激化し、左翼ゲリラによる外国大使館の占拠や政府・財界の要人暗殺、誘拐事件が多発した。そして1979年のニカラグア革命に触発された反政府運動を展開するゲリラ諸集団は、1980年にファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN:Frente Farabundo Martí de Liberación Nacional)を結成した。1992年1月に国連の調停によって政府とFMLNとの間で和平合意文書が調印されるまでの間、FMLNと政府軍は激しく戦火を交えた。12年間に及んだこの悲惨な内戦は約7万5000人の死者と100万人を超す難民・国外脱出者を生み、国内経済を極端なまでに疲弊させた。

 1994年に内戦終結後、初めて歴史的な意義をもつ民主的選挙が国際社会の監視のなかで実施された。内戦中のゲリラ組織FMLNは政党として参加し、新たな国づくりへの取組みが始まった。しかしこの選挙で成立した親米右派の民族主義共和同盟(ARENA:Alianza Republicana Nacionalista)政権は、すでに1989年の大統領選挙で実権を握っており、それ以降連続4期20年にわたって政権を担当した。この間に進展した親米化は、2001年のアメリカ・ドルと自国通貨コロンによる二重通貨制度の導入やイラクへの派兵などにまで及んだ。しかし、2009年1月に行われた議会選挙で、かつてのゲリラ組織から政党へと変身したFMLNが議会で第一党となり、同年3月に行われた大統領選挙で同党が擁立したマウリシオ・フネスCarlos Mauricio Funes Cartagena(1959― )が大統領に選出されて、政治は新たな変革の時代を迎えている。

[国本伊代]

政治

三権分立による立憲共和体制をとり、現行の憲法は1983年に制定されたものである。国家元首である大統領は副大統領とともに18歳以上の国民の直接選挙によって選出され、任期は5年で連続再選が禁止されている。議会は任期3年の議員84名で構成される一院制。全国14県からなる地方行政は、大統領の指名する知事が統括する中央集権体制である。主要政党には、2011年時点で政権与党のファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)のほかに、右派の民族主義共和同盟(ARENA)、キリスト教民主党(PDC:Partido Demócrata Cristiano)、国民自由党(PLN:Partido Nacional Liberal)などがある。1989年以来実権を握ってきた親米右派ARENAが擁立した大統領候補を破って2009年に成立したフネスFMLN政権は、従来の対米関係の保持を掲げながらも、1959年に外交関係を断絶したキューバとの国交を再開し、台湾との外交関係を保持し、中米統合機構(SICA:Sistema de la Integración Centroamericana。中央アメリカ諸国の政府間組織)および2011年12月に発足したラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC:Comunidad de Estados Latinoamericanos y Caribeños)に参加している。

[国本伊代]

経済

国土が狭く、人口が過密なうえに、地下資源をもたないこの国の経済活動のなかで、2009年時点でも労働人口の約20%が従事する農林牧畜業は依然として重要な経済活動であるが、GDPに占める割合は12%で、1990年代末から産業構造の変化が進んでいる。経済活動で最大の部門であるサービス産業はGDPの約60%を占め、製造業部門は一次産業を抜いて28%となった(2010)。しかし個別の産品でみると、伝統的な輸出産品であるコーヒーは依然として輸出品目の第1位(8%台)を占めている。コーヒーの栽培は1840年代に始まり、それまでもっとも重要な輸出産品であった染料のインディゴ(藍(あい))にとってかわり、以後主要な経済活動となっている。主産地は南西部のサンタ・アナ火山南西山麓(さんろく)の標高600メートルを超える高原地帯で、全生産量の3分の2を占めている。なおエルサルバドルでは中米共同市場CACM:Central American Common Market)が機能していた1960年代に工業化が進み、比較的高い経済成長をとげたが、1970年代後半から富の極端な偏在と経済の悪化のなかでゲリラ活動が活発となって内戦状態に陥ったため、国民1人当りの所得は1980年代を通じて急落した。壊滅的な打撃を受けた国内経済は、1992年に和平交渉が成立したあと日本を含む国際的な支援を受けて復興への取組みが続けられている。工業は中米諸国のなかではもっとも進んでおり、繊維、靴、医薬品、食料・飲料水などの加工製造業が急速に回復しつつあり、これらの軽工業製品の輸出がコーヒー、砂糖、綿花などの伝統的な輸出商品にかわろうとしている。

 1961年に発足した中米共同市場によってエルサルバドルは大きな恩恵を受けたが、1969年の隣国ホンジュラスと戦った「サッカー戦争」(サッカーの試合での遺恨が原因となって起きた戦争)を機に中米共同市場は解体の危機に直面した。そして1970年代以降の中米地域紛争によって完全に停滞してしまったが、近年の地域経済統合の動きのなかで復活しつつある。さらに、エルサルバドルは2006年3月に、ほかの中米4か国(グアテマラ、ホンジュラス、コスタリカおよびニカラグア)とともにアメリカとの中米自由貿易協定を発効させ、民営化と市場主義経済を進めている。推定250万人のアメリカ在住の出稼ぎエルサルバドル人の国内家族への送金額はGDPの約10%に達し、重要な外貨獲得源となっている。

[国本伊代]

社会と文化

国民の84%が先住民と白人との混血であるメスティソからなり、残りは白人(10%)と先住民(5.6%)が占める。文化的にはスペインの伝統と先住民の慣習が維持されているが、公用語はスペイン語で、先住民の言語はほぼ消滅している。国民の4分の3がキリスト教カトリック信徒であるが、近年はプロテスタントの増加が著しい。教育は4歳からの就学前課程3年を含めた小・中学校9年の計12年間が義務教育で、15歳以上人口の非識字率は16.6%(2010)である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)として1993年にホヤ・デ・セレンの古代遺跡が登録されている。

[国本伊代]

日本との関係

1935年(昭和10)に外交関係が樹立されて以来、第二次世界大戦中には敵国同士となったが、伝統的に友好関係が保たれている。とくに第二次世界大戦後は人口過剰のエルサルバドルが工業国日本をモデルにして工業化を推進したこともあって、1960年代には綿・化学繊維工業における日本との合弁企業が中米最大の規模を誇っていた。しかし1978年(昭和53)に起こった日系企業社長の誘拐・殺害事件を契機に日本企業の撤退が始まり、その後の内戦状態のなかで両国関係は低いレベルに留まったが、内戦終結後の国家復興計画を日本は積極的に支援している。

[国本伊代]

『増田義郎・山田睦男編『ラテン・アメリカ史Ⅰ――メキシコ・中央アメリカ・カリブ海』(1999・山川出版社)』『二村久則・野田隆・牛田千鶴・志柿光浩著『ラテンアメリカ現代史Ⅲ』(2006・山川出版社)』『細野昭雄・田中高編著『エルサルバドルを知るための55章』(2010・明石書店)』


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改訂新版 世界大百科事典 「エルサルバドル」の意味・わかりやすい解説

エルサルバドル
El Salvador

基本情報
正式名称=エルサルバドル共和国República de El Salvador/Republic of El Salvador 
面積=2万1041km2 
人口(2010)=618万人 
首都=サン・サルバドルSan Salvador(日本との時差=-15時間) 
主要言語=スペイン語(公用語) 
通貨=エルサルバドル・コロンSalvadoran Colón

中央アメリカで最も小さく,最も人口密度の高い共和国である。北と東はホンジュラスに,西はグアテマラに,南は太平洋に接しており,中米5ヵ国のうちでは唯一カリブ海に面していない。面積は九州のほぼ半分である。

地理的に同国は,海岸線と平行的に走る北部と南部の火山性の山岳地帯(最高峰は南部の火山サンタ・アナ山で標高2381m),それに挟まれた高原・渓谷地帯,さらに沿岸部の四つに区分される。人口の60%と都市のほとんどは,南部の山岳地帯に集中している。熱帯性気候にもかかわらず,内陸部は高度のために温暖である。1年は5月から10月までの雨季と,11月から4月までの乾季とに分かれている。年降雨量は1500~3000mmである。人口の90%以上は白人と先住民との混血であるメスティソが占め,残りが白人と先住民である。国語はスペイン語だが,ナワトル語を話す人々も少数ながら存在する。宗教面ではカトリック教徒が多いが,近年は福音派プロテスタントの伸張がめざましい。

この国の最高規範は1950年に制定され,96年に改定された憲法で,三権分立の共和制がうたわれている。18歳以上の男女全員に国政投票権が与えられている。大統領は直接選挙によって選ばれ,任期は5年,再選は禁止されている。議会は一院制で,直接選挙で選ばれる議員の任期は2年,ただし再選は禁止されていない。国土全体が14の県に分割され,県知事の任命権は大統領にある。軍隊は陸軍を中心に,小規模な海軍・空軍がある。1992年の和平協定以来,旧ゲリラの一部を国家文民警察(PNC)という準軍事組織に吸収した。

1980年代の内戦によって,長期にわたってマイナス成長がつづいたが,和平達成のあと,しだいに経済発展が加速されつつある。経済的にはいまだに農業に大きく依存しており,生産人口の40%が農業に従事している。特にコーヒーの比重が高く,農業生産の3分の1を占める。他に綿花,砂糖,米,タバコ等も生産され,牧畜業も盛んである。鉱業はほとんどないが,製造業はしだいに重要性を増し,GDPに占める比率は1990年代には農業を上回るようになっている。飲料品,加工食品,肥料,セメント,プラスチック製品,タバコ,衣料品等が生産されている。関税削減を含む積極的な貿易自由化が進められており,貿易赤字は国外に避難した同国人からの送金が埋めている。輸出は伝統的農産物(コーヒー,砂糖)より軽工業製品が中心になりつつある。主な輸出先はアメリカ合衆国,中米諸国,ドイツ,日本である。輸入においては,しだいに資本財の割合が高まっており,アメリカ合衆国,中米諸国,日本,ドイツが主な取引先である。保税加工区での生産が急激に拡大しており,輸出の40%,輸入の20%近くにまで達している。同国は1961年に中米5ヵ国による中米共同市場(CACM)の結成に参加しており,また1995年には世界貿易機関(WTO)に加わった。通貨流通は国立銀行の管理下にあるが,金融部門でも自由化政策が進められている。

 いまだに残る大土地所有制のため,一部の階層に富が集中し,都市と農村の経済格差も大きい。しかし,教育の普及にともなって識字率は70%を超えており,幼児死亡率等においても,近年大幅な改善が見られる。大学はサン・サルバドル市に国立自治大学がある。

この土地には古くから,アステカ人と関係のあるピピル人ほか,いくつかの部族が住んでおり,ピピル人はクスカトランを首都にして国家形成の過程にあった。1524年にコルテスの部下ペドロ・デ・アルバラドらのスペイン人が侵入し,以来この地域はスペイン人支配下に置かれ,急速な混血化が進んだ。現国名は〈救世主〉を意味し,アルバラドの命名になるとされる。60年以降,グアテマラ総督領の統治下に置かれ,牧畜,農業,さらに藍の生産が行われた。

 19世紀に入ると,他のスペイン領植民地においてと同様に,現地の実力者のあいだに独立の気運が高まり,1821年にグアテマラが独立を宣言したのち,事実上スペインの支配を離れた。24年には中央アメリカ連邦の一部を形成する。保守派と自由派,中央集権派と分権派との絶えまない抗争がつづき,連邦が解体したのちに,41年に保守派政権のもとでエルサルバドル共和国として暫定的に独立する(正式の独立は1856年)。19世紀の後半にはコーヒーの生産がしだいに重要性を増したが,政治的にはクーデタ,内戦,さらには対外戦争が繰り返される。周囲の諸国と連邦を再結成する努力も何回か行われたが,すべて失敗した。

 20世紀に入ると政治面では比較的安定した時期がつづいた。第1次世界大戦期には中立を守っている。1929年の世界恐慌によって,主要産物であるコーヒーが大打撃を受けたあと,経済危機のさなかの31年12月には,誕生したばかりのアラウホ大統領を中心とする政権を,国防相M.エルナンデス・マルティネスMaximiliano Hernández Martínez将軍によるクーデタが打倒する。エルナンデス・マルティネスは独裁権を握り,上からの国家社会主義的な経済・社会政策を推し進めた。新通貨の発行,国立銀行の設立,パン・アメリカン・ハイウェーの完成等,独裁政権のもとで改革が促進されたが,その一方で国内の反対勢力に対して厳しい抑圧が行われ,32年には反乱を口実にした弾圧で3万人ともいわれる人々が虐殺されている。エルナンデス・マルティネス政権は34年にはいわゆる満州国を承認するなど,枢軸側に好意的であったが,アメリカ合衆国の圧力などの結果,第2次世界大戦においては連合国側に立って参戦している。

 エルナンデス・マルティネス政権は44年10月のクーデタで倒され,48年12月にも再度,オスカル・オソリオÓscar Osorio大佐たちのクーデタが起こる。50年に現行憲法が制定され(1962一部改定),56年の大統領選挙ではホセ・マリア・レムスJosé María Lemusが選出された。この間,1951年10月には中米5ヵ国が同国に集まり,サン・サルバドル憲章を採択して,中央アメリカ機構を設立している。コーヒー価格の好調に支えられて,経済発展政策が実施され,住宅・学校の拡充,レンパ水力発電所の建設などが行われた。

 60年10月に,キューバ革命の影響を受けて,大衆的な基盤を持ったクーデタが起こり,レムス政権は打倒され,統治評議会が政権を握るが,61年1月にはそれも軍部クーデタによって崩壊する。62年4月の大統領選挙では,ホルヘ・リベラJorge Riveraが大統領に選出されたが,諸野党は選挙をボイコットしている。リベラ政権は開発政策を採用して,エルサルバドルでの輸入代替的工業化を進め,また64年には中央アメリカ防衛会議の創立に加わった。67年の大統領選挙では,フィデル・サンチェス・エルナンデスFidel Sánchez Hernández大佐が当選している。経済・政治・軍事面での中米協力の制度的進展にもかかわらず,ホンジュラスとの政治的・経済的緊張は緩和されず,69年7月14日にはエルサルバドルはホンジュラスと戦闘状態に入った。この100時間戦争は両国のサッカー試合をきっかけとしていたため,サッカー戦争と呼ばれている。この戦争の結果,中米共同市場等の地域統合の試みは,大きく後退せざるをえなくなった。

 72年の大統領選挙では,アルトゥロ・アルマンド・モリナArturo Armando Molina大佐が選出されたが,この選挙結果は不正によるものだといわれ,野党の強い反発をかった。モリナ政権は農牧業の多様化,工業開発等に積極的にのり出したが,反対派の抵抗は強まった。77年にはカルロス・ウンベルト・ロメロCarlos Humberto Romero大佐が大統領に選ばれている。ロメロ政権は79年10月に軍民一体のクーデタで打倒され,80年10月には軍部の支持のもとでホセ・ナポレオン・ドゥアルテJosé Napoleón Duarteが革命評議会の議長として政権を掌握した。さらに82年5月には制憲議会選挙の結果,マガナ・ボルハAlvaro Alfredo Magana Borjaが大統領に選ばれた。この間,反対派はファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)を統一した軍事組織とし,革命的民主戦線(FDR)をその政治組織に編成して武装闘争に突入し,エルサルバドルは完全な内戦状態に入った。84年6月にはドゥアルテが再度大統領に就任し,翌年の国会議員選挙でも彼が率いるキリスト教民主党が勝利したが,88年の議会選挙では保守派の国民共和同盟が第1党に躍進し,89年3月の大統領選でも同盟のクリスティアニAlfredo Cristianiが当選し,6月大統領に就任した。

 国連が仲介に立った和平交渉は92年に実を結び,同年末に和平が実現して,7万5000人の死者を出し,12年間に及んだ内戦が終結した。FMLNは合法的な政党として活動することになった。94年には,右派の国民共和同盟のアルマンド・カルデロン・ソルArmando Calderon Solが大統領に選ばれた。同年の総選挙の結果,議会の84議席のうち,国民共和同盟が39,FMLNが21,キリスト教民主党が18を占めている。内戦中に大量の難民が発生し,それがいまだに犯罪等の社会問題を発生させている。
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百科事典マイペディア 「エルサルバドル」の意味・わかりやすい解説

エルサルバドル

◎正式名称−エルサルバドル共和国Republic of El Salvador。◎面積−2万1040km2。◎人口−619万人(2010)。◎首都−サン・サルバドルSan Slvador(32万人,2007)。◎住民−メスティソ90%,インディオ,白人。◎宗教−約90%がカトリック。◎言語−スペイン語(公用語)が大部分。◎通貨−米ドル。◎元首−大統領,サンチェス・セレンSalvador Sanchez Ceren(2014年6月就任,任期5年)。◎憲法−1983年12月発効。◎国会−一院制(定員84,任期3年)。最近の選挙は2012年3月。◎GDP−221億ドル(2008)。◎1人当りGNP−2540ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−27.1%(2003)。◎平均寿命−男67.8歳,女77.1歳(2013)。◎乳児死亡率−14‰(2010)。◎識字率−84.1%(2009)。    *    *中米,太平洋岸の共和国。南部の低地を除き大部分が高原で,火山が多い。熱帯にあるが気候は亜熱帯,温帯に似る。中米最小の国であるが,人口密度は高い。農業が主で,コーヒーが主要輸出品。ほかに綿花,トウモロコシ,タバコ,サトウキビ,国内消費用の米など。鉱産は少ない。バルサムなどの林産もある。 1525年スペインの支配下に入り,インディオとスペイン人の混血が急速に進んだ。中央アメリカ連邦の崩壊後1841年独立。独立以来,少数の大地主と軍部による独裁とクーデタが繰り返された。1969年には隣国ホンジュラスとのサッカー戦争(100時間戦争)が起こり,中米共同市場などの地域統合は大きく後退した。極端な貧富の差から1980年代以降ファラブンド・マルティ民族解放戦線による反政府ゲリラ活動が激化したが,1992年国連の仲介で政府とゲリラ組織は和平に合意した。1999年大統領選挙で民族主義共和同盟のフロレスが当選。2000年,2003年の総選挙で,ファラブンド・マルティ民族解放戦線が第一党となるが,2006年の総選挙では,親米右派の民族主義共和同盟が第一党に。2004年大統領選挙で,民族主義共和同盟率いるサカが当選。2009年の大統領選挙ではフネス候補が当選し,20年ぶりに政権が交代した。
→関連項目ホンジュラス

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エルサルバドル」の意味・わかりやすい解説

エルサルバドル
El Salvador

正式名称 エルサルバドル共和国 República de El Salvador。
面積 2万1041km2
人口 683万(2021推計)。
首都 サンサルバドル

中央アメリカ中部にある国。中央アメリカ7ヵ国中最小の国。西はグアテマラ,北と東はホンジュラスと国境を接し,南は太平洋に面する。国土は山がちで,北部と南部にそれぞれほぼ東西方向に山地が連なり,南部山脈にはイサルコ火山などの活火山を含む火山が多い。最高峰はサンタアナ火山 (2382m) 。両山脈間には標高 400~800mの中央高原が広がる。熱帯気候区に属するが,内陸部の山地や高原は温帯的で,概して快適。北東貿易風に対し風下側斜面にあるため,年降水量は比較的少く 1700mm前後,山地でやや多い。5~10月が雨季。住民の約 90%はメスティーソと呼ばれるスペイン系白人とインディオの混血で,残りは大部分純粋のインディオ。ほかに白人,黒人が少数住む。公用語はスペイン語。ローマ・カトリックが国教。スペイン人が植民のため来住する以前は,ピピル,レンカ,ポコマン,ウルアなどのインディオの諸部族が住んでおり,特にピピル族はクスカトランを中心に高度の文明社会を形成していたと考えられる。 1524年スペイン人が侵入,1525年サンサルバドルを建設し,植民地支配を開始,のちグアテマラ総督領の一部として統治。 1821年同総督領がスペインから独立するとともに,エルサルバドルはそこから分離,独立。その後一時メキシコ帝国に属したが,1823年他の中央アメリカ諸国とともに中央アメリカ連邦を結成。 1834~39年その首都がサンサルバドルにおかれた。同連邦崩壊後,1841年共和国として正式に独立。独立後権力抗争や国境紛争で政情は混乱したが,20世紀に入って比較的安定し,コーヒー産業により経済的にも繁栄。 1931~44年マルティネス将軍による軍事独裁政権。第2次世界大戦後しばしばクーデターが起こり,再び政情不安となったが,1960年代以降安定化。しかし少数者による富の独占という社会構造が依然として続き,1970年代後半テロ事件が頻発。 1979年 10月軍部によるクーデターが発生,ロメロ大統領を追放し,軍民による革命評議会が発足したが,1980年3月農地改革と銀行国有化を契機に左右の対立が激化し,内戦状態に入った。1990年国連の仲介で政府と反政府左翼ゲリラとの交渉が開始され,1992年停戦が発効,12年にわたった内戦が終結した。近年工業発展が著しいが,経済の主柱は依然として農業で,主要作物はコーヒー,ワタ,サトウキビ。コーヒーは最大の輸出品。鉱物資源は乏しい。内戦中に多くの工業施設が破壊されたため,復興が急がれている。主要工業は石油精製,製糖,綿工業で,繊維,衣料,セメント,粗鋼,医薬品,ビール,たばこなどの工業も立地する。北部山岳地帯以外では交通網は比較的よく発達している。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エルサルバドル」の解説

エルサルバドル
El Salvador

中央アメリカの共和国。独立後のメキシコから1823年に分離した中央アメリカ連合が分裂し,56年に正式独立した。農牧業が中心だったが,19世紀後半からコーヒー産業が興り,綿花,タバコとともに経済を支えた。政情は安定せず,1931年から13年間は軍部の独裁政権が支配した。79年ニカラグア革命の影響でクーデタが起こり,執政評議会が成立したが,極左グループの民族解放戦線の挑戦を受けて内戦が10年以上続いた。92年国際連合の仲介で和平が成立。

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世界大百科事典(旧版)内のエルサルバドルの言及

【サッカー戦争】より

…中央アメリカのエルサルバドルとホンジュラスの間で,1969年7月に戦われた戦争を指す。サッカー試合がきっかけになったとされるのでこの名があるが,〈100時間戦争〉という呼名もある。…

【中央アメリカ】より

…北アメリカ大陸と南アメリカ大陸とをつなぐ地峡部を指す名称で,グアテマラ,ベリーズ,エルサルバドル,ホンジュラス,ニカラグア,コスタリカ,パナマの7ヵ国からなる。近年では,さらにメキシコを加えて中部アメリカ(Middle America)と呼ぶことも多くなっている。…

※「エルサルバドル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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