日本大百科全書(ニッポニカ) 「沖縄協定」の意味・わかりやすい解説
沖縄協定
おきなわきょうてい
正式には「琉球(りゅうきゅう)諸島および大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国の間の協定」といい、沖縄協定とも沖縄返還協定ともいわれる。1945年第二次世界大戦の終結以来、沖縄など南方・南西諸島は日本本土から分離され、アメリカの単独占領下に置かれていたが、サンフランシスコ平和条約(1952年4月発効)で対日軍事占領が終了したのちも、同条約第3条により、これらの地域にはアメリカの施政権が及ぶこととされ、日本にはわずかに「残存主権」が名目的に残されたにすぎなかった。アメリカが沖縄を直接に施政権下に置いたのは、軍事基地の自由な設定と使用のためであったことはいうまでもないが、その反面でマイナス面もないわけではなかった。第一に、異民族支配は、沖縄住民はもとより、本土国民を通じて祖国復帰の悲願を生ぜずにはおかないこと。第二に、アメリカは軍事支出のほかに沖縄の民生のためにも財政的支出を必要とすること。第三に、日米安全保障条約に定める相互防衛体制は沖縄には適用されず、したがって日本の軍事力に沖縄防衛を分担させることができないこと。このようなマイナスがあるため、アメリカの側からみても沖縄の施政権の保持は暫定的であり、長期的に継続しえぬものであったとみてよいであろう。1968年ニクソン大統領によって発表されたグアム・ドクトリンは、アメリカ地上軍を現地アジア諸国によって肩代りさせる方向を明らかにし、沖縄の施政権を返還して地上防衛を日本に分担させる方針を示した。翌69年(昭和44)11月の佐藤・ニクソン両首脳による日米共同声明は、アメリカ軍の基地維持の重要性と、日本による沖縄の局地防衛努力の必要性の認識のうえに、72年中に沖縄復帰を実現することを目標として協議を促進することを明らかにした。実際に、71年6月17日に沖縄協定が署名され、72年3月15日に批准書が交換され、同年5月15日に効力が発生し、これによって沖縄の復帰は実現した。協定は前文と本文9か条からなり、琉球諸島と大東諸島の施政権がアメリカから日本に返還されることを規定する(第1条)とともに、安保条約をはじめ日米間条約は沖縄にも適用されるものとし(第2条)、米軍基地の維持について周到な規定を設け(第3条)、日本側の対米請求権の放棄(第4条)、裁判の効力の承認(第5条)などに言及している。なお、協定署名後まもなく日米安保協議委員会で「沖縄の直接防衛責任の日本国による引受けに関する取決め」(久保‐カーチス協定)が署名され、沖縄に配置される自衛隊の種類と規模が合意された。
[石本泰雄]