沢村田之助(読み)サワムラタノスケ

デジタル大辞泉 「沢村田之助」の意味・読み・例文・類語

さわむら‐たのすけ〔さはむら‐〕【沢村田之助】

歌舞伎俳優。屋号、紀伊国屋
(初世)3世沢村宗十郎の初名。
(3世)[1845~1878]5世宗十郎の次男。幕末から明治初期にかけての名女方。壊疽えそにかかり、引退。

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精選版 日本国語大辞典 「沢村田之助」の意味・読み・例文・類語

さわむら‐たのすけ【沢村田之助】

  1. 歌舞伎俳優。屋号紀伊国屋。
  2. [ 一 ] 二世。三世沢村宗十郎の三男。俳名は曙山。文化(一八〇四‐一八)期の女形の大立者。天明八~文化一四年(一七八八‐一八一七
  3. [ 二 ] 三世。俳名は曙山。五世沢村宗十郎の次男。一六歳で守田座立女形となり、田之助髷、田之助襟、田之助下駄などが流行するほどの人気を得た。慶応初年脱疽(だっそ)となり、明治五年(一八七二)両手足を切断し引退したが翌年には復帰。すぐれた容姿美声で立役もかね、河竹黙阿彌の毒婦役を得意とした。切られお富、笠森お仙、男之助などが当たり役。弘化二~明治一一年(一八四五‐七八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「沢村田之助」の意味・わかりやすい解説

沢村田之助
さわむらたのすけ

歌舞伎(かぶき)俳優。屋号は紀伊国屋(きのくにや)。3世沢村宗十郎の初名に始まる。

服部幸雄

2世

(1788―1817)3世宗十郎の三男。1801年(享和1)2世を継ぎ、文化(ぶんか)期(1804~1818)の女方(おんながた)の立者(たてもの)になったが、早世した。美貌(びぼう)で、時代・世話・所作事(しょさごと)のいずれもよかった。

[服部幸雄]

3世

(1845―1878)5世宗十郎の次男。1859年(安政6)3世を襲名。麒麟児(きりんじ)との名声が高く、わずか16歳で守田座の立女方(たておやま)になり、人気を集めた。優れた才能をもちながら、不幸にも脱疽(だっそ)を患って両手両足を切断、しかもなお舞台に立って好評を受けた。伝法肌の女性や悪婆を得意とし、「切られお富」「笠森(かさもり)おせん」「蟒お由(うわばみおよし)」などを当り役とし、34歳で早世。

[服部幸雄]

4世

(1857―1899)3世の養子で女方。1881年(明治14)襲名。

[服部幸雄]

5世

(1902―1968)7世沢村宗十郎の次男。1920年(大正9)襲名。1964年(昭和39)引退して曙山(しょざん)と名のった。

[服部幸雄]

6世

(1932―2022)5世の長男。本名山中宗雄。1964年父の引退とともに襲名。実力派の女方として活躍する。2002年(平成14)重要無形文化財保持者人間国宝)に認定された。

[服部幸雄]


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改訂新版 世界大百科事典 「沢村田之助」の意味・わかりやすい解説

沢村田之助 (さわむらたのすけ)

歌舞伎俳優。屋号は紀伊国屋。(1)初世 3世沢村宗十郎の初名。(2)2世(1788-1817・天明8-文化14) 3世宗十郎の三男。幼名鉄之助。1801年(享和1)京都へ上り,翌02年田之助を襲名。三都の芝居で活躍。17年(文化14)上上吉に位付けされ文化期(1804-18)の女方の大立者となる。美貌をもって鳴らし,時代,世話ともによく,当り役は《妹背山》のお三輪,《恋飛脚》の梅川など。(3)3世(1845-78・弘化2-明治11) 5世宗十郎の次男。幼名由次郎。1859(安政6)田之助を襲名。翌年春弱冠16歳で守田座の立女方となる。慶応初年に脱疽(だつそ)を病み手足を切断し,72年に引退,その後も舞台に立ったが,発狂して没した。立役を兼ねたが本領は女方で,〈田の太夫〉と呼ばれた。当り役は切られお富,蟒(うわばみ)お由,男之助など。(4)4世(1857-99・安政4-明治32) 3世の門弟。前名百之助。1881年田之助を襲名,のち病身のためふるわずに終わった。(5)5世(1902-68・明治35-昭和43) 7世宗十郎の次男。前名3世由次郎。1920年田之助を襲名。和事と若女方をよくしたが晩年ふるわず,64年沢村曙山と号して引退した。(6)6世(1932(昭和7)- )5世の長男。前名4世由次郎。1964年田之助を襲名。女方。
沢村宗十郎
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「沢村田之助」の解説

沢村 田之助(5代目)
サワムラ タノスケ


職業
歌舞伎俳優

本名
山中 宗十郎

別名
俳名=沢村 曙山(サワムラ ショザン),初名=沢村 由次郎(3代目)

屋号
紀伊国屋

生年月日
明治35年 10月2日

出生地
東京

経歴
明治41年3代目沢村由次郎を名乗り、東京歌舞伎座で初舞台。大正9年1月帝国劇場で5代目田之助襲名、名題に昇進。昭和6年巌谷真一とともに欧米演劇を視察二枚目の和事、若女形がよく、新派にも招かれたりしたが、晩年は病気でもあり不遇だった。39年長男の4代目由次郎に6代目を襲名させ、劇界を引退した。

没年月日
昭和43年 12月3日 (1968年)

家族
父=沢村 宗十郎(7代目),長男=沢村 田之助(6代目),二男=沢村 六郎


沢村 田之助(4代目)
サワムラ タノスケ


職業
歌舞伎俳優

別名
初名=沢村 百之助(初代),俳名=沢村 百山,沢村 曙山(サワムラ ショザン)

生年月日
安政4年

出生地
江戸(東京都)

経歴
守田座の座付茶屋紀の清の子として生まれ、3代目沢村田之助の門弟からその養子となり、沢村座当時は座本も兼ねた。3代目没後は主に青木座に出演して次第に名をあげ、明治14年市村座が4代目を襲名、立女形となる。「新賀初音鶯」の娘梅が枝、妻浅香、「鎌倉三代記」の宇治の方、「再板歌祭文」の久松、「明鳥廓初雪」の浦里などを演じた。

没年月日
明治32年 4月4日 (1899年)

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20世紀日本人名事典 「沢村田之助」の解説

沢村 田之助(5代目)
サワムラ タノスケ

明治〜昭和期の歌舞伎俳優



生年
明治35(1902)年10月2日

没年
昭和43(1968)年12月3日

出生地
東京

本名
山中 宗十郎

別名
俳名=沢村 曙山(サワムラ ショザン),初名=沢村 由次郎(3代目)

屋号
紀伊国屋

経歴
明治41年3代目沢村由次郎を名乗り、東京歌舞伎座で初舞台。大正9年1月帝国劇場で5代目田之助襲名、名題に昇進。昭和6年巌谷真一とともに欧米演劇を視察。二枚目の和事、若女方がよく、新派にも招かれたりしたが、晩年は病気でもあり不遇だった。39年長男の4代目由次郎に6代目を襲名させ、劇界を引退した。

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朝日日本歴史人物事典 「沢村田之助」の解説

沢村田之助(3代)

没年:明治11.7.7(1878)
生年:弘化2.2.8(1845.3.15)
幕末明治初期の歌舞伎役者。俳名曙山。5代目沢村宗十郎の次男として江戸に生まれる。幼名由次郎。安政6(1859)年田之助を襲名。勝ち気な性格を反映した派手な芸風で,美貌,美声の上に抜群の演技力を持ち,16歳で守田座の立女形となる異例の出世をした。また人気も絶大で,田之助髷,田之助襟などの流行を生み出したが,脱疽で両手両足を順に失い,明治5年引退を表明。その後「明烏」の浦里など,座ったまま勤める役で舞台に復帰したが,まもなく狂死した。幕末頽廃期の歌舞伎の終焉を飾る象徴的存在であり,その劇的な生涯は,舟橋聖一『田之助紅』,杉本苑子『女形の歯』,皆川博子『花闇』など数々の小説や戯曲を生んでいる。田之助の名跡は平成期の6代目におよぶ。<参考文献>伊原敏郎『明治演劇史』

(石橋健一郎)


沢村田之助(2代)

没年:文化14.1.28(1817.3.15)
生年:天明8(1788)
江戸後期の歌舞伎役者。俳名曙山。屋号紀伊国屋。3代目沢村宗十郎の3男。寛政5(1793)年江戸中村座で沢村鉄之助の名で子役として初舞台。その後父と共に上方へ上る。享和2(1802)年2代目沢村田之助を襲名。色子から若女形となり,子供芝居で活躍する。文化3(1806)年京都南側芝居布袋屋座で大芝居に初めて出勤。3代目瀬川菊之丞風の器用な芸で若女形の花形となったが,30歳の若さで病死した。美貌の持ち主で,また舞台衣裳が見事であったという。地芸,所作,時代,世話と何でもこなす芸域の広さがあり,三都で人気が高かった。

(加藤敦子)

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百科事典マイペディア 「沢村田之助」の意味・わかりやすい解説

沢村田之助【さわむらたのすけ】

歌舞伎俳優。初世は3世沢村宗十郎の前名。現在6世になるが,3世が有名。屋号紀伊国屋。3世〔1845-1878〕は5世宗十郎の次男。美貌(びぼう)と天才的な演技力で幕末の江戸歌舞伎に活躍した女方だったが,脱疽(だっそ)を患い,両手両足を切断(ヘボンの手術は有名),若くして不幸な死をとげた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「沢村田之助」の解説

沢村田之助(3代) さわむら-たのすけ

1845-1878 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
弘化(こうか)2年2月8日生まれ。5代沢村宗十郎の次男。安政6年江戸中村座で3代田之助を襲名。16歳で立(たて)女方となり,田之助髷(まげ),田之助襟(えり),田之助下駄(げた)が流行するほどの人気を博した。脱疽(だっそ)で両手足をなくしても舞台にでたが,明治11年7月7日狂死。34歳。初名は沢村由次郎(よしじろう)。俳名は曙山(しょざん)。屋号は紀伊国屋。

沢村田之助(5代) さわむら-たのすけ

1902-1968 明治-昭和時代の歌舞伎役者。
明治35年10月11日生まれ。7代沢村宗十郎の次男。明治41年歌舞伎座で3代沢村由次郎として初舞台。大正9年帝国劇場で5代田之助を襲名。二枚目,女方として活躍したが,病気のため,昭和39年長男の6代襲名とともに引退。昭和43年12月3日死去。66歳。東京出身。本名は山中宗十郎。俳名は曙山(しょざん)。屋号は紀伊国屋。

沢村田之助(6代) さわむら-たのすけ

1932- 昭和-平成時代の歌舞伎役者。
昭和7年8月4日生まれ。5代沢村田之助の長男。昭和16年初舞台。7代尾上梅幸にまなび,39年6代沢村田之助を襲名。台詞術にすぐれ,心理描写に定評がある。平成13年芸術院賞。14年歌舞伎脇役で人間国宝。東京出身。伊東高卒。本名は山中宗雄。初名は沢村由次郎(4代)。屋号は紀伊国屋。東京出身。伊東高卒。

沢村田之助(2代) さわむら-たのすけ

1788-1817 江戸時代後期の歌舞伎役者。
天明8年生まれ。3代沢村宗十郎の3男。寛政5年江戸中村座で初舞台。享和2年京都嵐三吉座で2代田之助を襲名し,美貌の若女方として活躍した。文化14年1月28日死去。30歳。初名は沢村鉄之助。俳名は曙山(しょざん)。屋号は紀伊国屋。
【格言など】ちる梅にまた別れ行名残かな(辞世)

沢村田之助(4代) さわむら-たのすけ

1857-1899 明治時代の歌舞伎役者。
安政4年生まれ。東京沢村座の座元もかねる。養父3代田之助の死後,明治14年市村座で4代を襲名して立女方となった。その後病気がちで活躍できないまま,明治32年4月3日死去。43歳。江戸出身。前名は沢村百之助。俳名は有子,百山,曙山。屋号は紀伊国屋。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沢村田之助」の意味・わかりやすい解説

沢村田之助(3世)
さわむらたのすけ[さんせい]

[生]弘化2(1845)
[没]1878.7.7.
歌舞伎俳優。5世沢村宗十郎の次男として生れ,安政6 (1859) 年3世田之助を襲名。翌7年 16歳の若さで立女方となる。幕末の江戸歌舞伎界で人気を博し,毒婦役などを得意とした。慶応1 (65) 年壊疽 (えそ) におかされ,アメリカ人ヘボンの手術を受けて両手両足を切断したが,そののちも舞台に出,一時沢村座を興した。

沢村田之助(2世)
さわむらたのすけ[にせい]

[生]天明8(1788)
[没]文化14(1817)
歌舞伎俳優。3世沢村宗十郎の3男で文化期に活躍した美貌の女方。 1802年2世田之助となる。当り役はお三輪,小紫,梅川など。

沢村田之助(6世)
さわむらたのすけ[ろくせい]

[生]1932.6.4.
歌舞伎俳優。5世沢村田之助の子。本名山中宗雄。7世尾上梅幸に師事し,1964年襲名。堅実な芸風の女方で,常に安定した舞台を見せる。特にせりふ術にすぐれる。

沢村田之助(1世)
さわむらたのすけ[いっせい]

「沢村宗十郎(3世)」のページをご覧ください。

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367日誕生日大事典 「沢村田之助」の解説

沢村 田之助(5代目) (さわむら たのすけ)

生年月日:1902年10月11日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1968年没

沢村 田之助(3代目) (さわむら たのすけ)

生年月日:1845年2月8日
江戸時代;明治時代の歌舞伎役者
1878年没

沢村 田之助(6代目) (さわむら たのすけ)

生年月日:1932年8月4日
昭和時代;平成時代の歌舞伎俳優(女形)

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世界大百科事典(旧版)内の沢村田之助の言及

【義足】より

…義足の材料はおもに木であったが,戦闘で手足を切断された負傷者を救う技術として発達し,16世紀ころには金属でも作られるようになった。日本では,1868年(明治1)に歌舞伎俳優3世沢村田之助がアメリカに義足を注文し,最初の本格的な義肢使用者となった。文学では,《宝島》のシルバー船長,鯨の骨を義足にした《白鯨》のエイハブ船長などに見るとおり,幾度も死地を切り抜けてきた強者(つわもの)を印象づけるための小道具として用いられる。…

【都鳥廓白浪】より

…1854年(嘉永7)3月江戸河原崎座初演。配役は忍ぶの惣太を4世市川小団次,花子実は松若を坂東しうか,吉田梅若を沢村由次郎(のちの3世沢村田之助)。謡曲《隅田川》の梅若伝説をふまえたお家世話狂言。…

※「沢村田之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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