デジタル大辞泉
「尾上梅幸」の意味・読み・例文・類語
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おのえ‐ばいこう【尾上梅幸】
- 歌舞伎俳優。六世。五世菊五郎の養子。屋号音羽屋。前名栄三郎。すぐれた女形で生世話物を得意とした。当たり役はお富、三千歳(みちとせ)など。明治三~昭和九年(一八七〇‐一九三四)
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尾上 梅幸(7代目)
オノエ バイコウ
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 肩書
- 歌舞伎座芸術監督 重要無形文化財保持者(歌舞伎女形)〔昭和43年〕,日本芸術院会員〔昭和51年〕
- 本名
- 寺嶋 誠三(テラジマ セイゾウ)
- 別名
- 別名=藤間 勘九郎,初名=尾上 丑之助(4代目),前名=尾上 菊之助(3代目)
- 屋号
- 音羽屋
- 生年月日
- 大正4年 8月31日
- 出生地
- 東京市 赤坂区(東京都 港区)
- 学歴
- 日本俳優学校〔昭和5年〕卒
- 経歴
- 幼くして6代目尾上菊五郎の養子となり、大正10年6歳で4代目尾上丑之助を名乗り初舞台。昭和10年3代目尾上菊之助を襲名。15年「京鹿子娘道成寺」を初演。22年7代目尾上梅幸を襲名。24年6代目菊五郎没後、尾上菊五郎劇団を結成、劇団理事となる。35年10月ニューヨーク高等演劇研究所で歌舞伎講師を務め、37年11月西ベルリン世界パントマイム祭に日本代表として出席。40年訪欧公演、44年訪米公演、54年訪中公演、63年戦後初の韓国公演に参加。父譲りの踊りと世話物の女形で、近代的で清新な明るい芸風を確立。6代目中村歌右衛門と共に昭和の二大女形といわれた。43年人間国宝、51年日本芸術院会員。平成6年歌舞伎座の初代芸術監督に就任。同年文化功労者に選ばれる。他の当たり役に「廓文章」の夕霧太夫、「源氏物語」の玉鬘、「魚屋宗五郎」の女房、「毛谷村」のお園など。また、女形にとどまらず、「仮名手本忠臣蔵」の塩治判官、「勧進帳」の源義経などの美男子役も当たり役とした。著書に「梅と菊」がある。
- 所属団体
- 日本俳優協会(副会長)
- 受賞
- 日本芸術院賞(昭40年度)〔昭和41年〕,文化功労者〔平成6年〕 紫綬褒章〔昭和49年〕,勲三等瑞宝章〔昭和62年〕 芸術祭賞〔昭和22年〕,テアトロン賞〔昭和39年〕,名古屋演劇ペンクラブ年間賞〔昭和43年〕,NHK放送文化賞〔昭和50年〕
- 没年月日
- 平成7年 3月24日 (1995年)
- 家族
- 養父=尾上 菊五郎(6代目),長男=尾上 菊五郎(7代目),孫=寺島 しのぶ(女優),尾上 菊之助(5代目)
- 親族
- 伯父=尾上 梅幸(6代目)
- 伝記
- 歌舞伎リアルタイム―同時代の演劇批評日本の舞踊拍手は幕が下りてから伝統の美 歌舞伎―昇華された芸の世界女方―歌舞伎のヒロインたち人の情けの盃を 大矢 芳弘 著渡辺 保 著尾上 梅幸 著梅村 豊,大塚 清吾 写真津田 類 文,吉田 千秋 写真山川 静夫 著(発行元 森話社岩波書店NTT出版立風書房朝日新聞社淡交社 ’04’91’89’89’88’86発行)
尾上 梅幸(6代目)
オノエ バイコウ
- 職業
- 歌舞伎俳優(女形)
- 本名
- 寺島 栄之助
- 別名
- 前名=西川 栄之助,尾上 栄之助,尾上 栄三郎(5代目)(オノエ エイザブロウ)
- 屋号
- 音羽屋
- 生年月日
- 明治3年 10月15日
- 出身地
- 愛知県 名古屋市伏見町
- 経歴
- 初代西川鯉三郎の門に入り、明治9年西川栄之助の名で名古屋で初舞台。15年東京に出て5代目菊五郎の養子となる。18年尾上栄之助の名で東京初舞台。24年5代目栄三郎を襲名、娘形として人気を得た。36年6代目梅幸を襲名。44年帝国劇場開場と同時に座頭(技芸委員長)。15代市村羽左衛門と長年コンビの名女形で、お富、三千歳、お軽、お岩、お夏狂乱など当たり役が多かった。芸談集に「梅の下風」「女形の事」がある。
- 没年月日
- 昭和9年 11月8日 (1934年)
- 家族
- 養父=尾上 菊五郎(5代目),実父=尾上 朝次郎(3代尾上菊五郎の孫),長男=尾上 栄三郎(7代目),二男=尾上 泰次郎
- 伝記
- 芝居随想 作者部屋から黄金期歌舞伎名優アルバム人と芸談―先駆けた俳優たち 食満 南北 著河竹 登志夫 監修,松井 俊諭 編著馬場 順 著(発行元 ウェッジ二玄社演劇出版社 ’09’06’99発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
尾上 梅幸(7代目)
オノエ バイコウ
大正〜平成期の歌舞伎俳優 歌舞伎座芸術監督。
- 生年
- 大正4(1915)年8月31日
- 没年
- 平成7(1995)年3月24日
- 出生地
- 東京市赤坂区(現・東京都港区)
- 本名
- 寺島 誠三
- 別名
- 別名=藤間 勘九郎,前名=尾上 丑之助(4代目),尾上 菊之助(3代目)
- 屋号
- 音羽屋
- 学歴〔年〕
- 日本俳優学校〔昭和5年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術祭賞文部大臣賞〔昭和22年〕,テアトロン賞〔昭和39年〕,日本芸術院賞〔昭和41年〕,名古屋演劇ペンクラブ年間賞〔昭和43年〕,紫綬褒章〔昭和49年〕,NHK放送文化賞〔昭和50年〕,勲三等瑞宝章〔昭和62年〕,文化功労者〔平成6年〕
- 経歴
- 幼くして6代目菊五郎の養子となり、大正10年6歳で4代目尾上丑之助を名乗り初舞台。昭和10年3代目尾上菊之助を襲名。22年7代目尾上梅幸を襲名。24年尾上菊五郎劇団結成と同時に劇団理事。35年10月ニューヨーク高等演劇研究所に歌舞伎講師、37年11月西ベルリン世界パントマイム祭に日本代表として出席。40年訪欧公演、44年訪米公演、54年訪中公演に参加。父譲りの踊りと世話物の女方で、近代的で清新な明るい芸風を確立。6代目中村歌右衛門と共に昭和の二大女方といわれる。43年人間国宝、51年芸術院会員。平成6年歌舞伎座の初代芸術監督に就任。同年文化功労者に選ばれる。
尾上 梅幸(6代目)
オノエ バイコウ
明治〜昭和期の歌舞伎俳優(女形)
- 生年
- 明治3年10月15日(1870年)
- 没年
- 昭和9(1934)年11月8日
- 出身地
- 愛知県名古屋市伏見町
- 本名
- 寺島 栄之助
- 別名
- 前名=西川 栄之助,尾上 栄之助,尾上 栄三郎(5代目)(オノエ エイザブロウ)
- 屋号
- 音羽屋
- 経歴
- 初代西川鯉三郎の門に入り、明治9年西川栄之助の名で名古屋で初舞台。15年東京に出て5代目菊五郎の養子となる。18年尾上栄之助の名で東京初舞台。24年5代目栄三郎を襲名、娘形として人気を得た。36年6代目梅幸を襲名。44年帝国劇場開場と同時に座頭(技芸委員長)。15代市村羽左衛門と長年コンビの名女形で、お富、三千歳、お軽、お岩、お夏狂乱など当たり役が多かった。芸談集に「梅の下風」「女形の事」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
尾上梅幸
おのえばいこう
歌舞伎(かぶき)俳優。梅幸の名は代々の尾上菊五郎の俳名で、芸名に用いたのは3世菊五郎が最初。4世菊五郎も前名として名のった。現在7世まである。屋号音羽屋(おとわや)。
[古井戸秀夫]
(1870―1934)本名寺島栄之助。5世菊五郎の養子。6世菊五郎の義兄。養父の薫陶(くんとう)を受けつつ相手役を勤め、養父の没した直後の1903年(明治36)に襲名。11年新築開場した帝国劇場の技芸委員長(座頭(ざがしら))となった。長身痩躯(そうく)を生かした『土蜘(つちぐも)』『四谷怪談』『累(かさね)』などを得意にしたほか、15世市村羽左衛門(うざえもん)と共演した『源氏店(げんじだな)』『直侍(なおざむらい)』などは名コンビとうたわれ、また2世市川左団次の南北物復活に寄与するところも大きい。女方(おんながた)の芸談として『梅の下風(したかぜ)』(1930)を残す。
[古井戸秀夫]
(1915―95)本名寺島誠三。6世菊五郎の養子。1947年(昭和22)襲名。養父の没後菊五郎劇団を結成、立女方(たておやま)の地位を占める一方で、養父譲りの『勧進帳』の義経(よしつね)や『忠臣蔵』の塩冶判官(えんやはんがん)などの立役(たちやく)にも力量を発揮する。68年に重要無形文化財保持者、76年に芸術院会員、94年(平成6)に文化功労者となる。
[古井戸秀夫]
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尾上梅幸 (おのえばいこう)
歌舞伎俳優。尾上菊五郎代々の俳名で,3世,4世は一時名のって舞台に出たが,初世,2世,5世は芸名にはしなかった。(1)6世(1870-1934・明治3-昭和9) 本名寺島栄之助。名古屋に生まれた。父は3世菊五郎の孫の朝次郎だったが,12歳で5世菊五郎の養子となり,一座の若女方として養父にしこまれ,女方として大成,世話物,家の芸の怪談狂言,新古演劇十種などに当り役が多い。父の相手役でも好演したが,のちに15世市村羽左衛門との共演がファンを狂喜させた。お富,三千歳,累などがそれである。1911年帝国劇場に専属,座長になった。芸談《梅の下風》は名著である。(2)7世(1915-95・大正4-平成7)本名寺島誠三。6世菊五郎の養子として,子役時代からきびしく教えられ,1947年に伯父の芸名をついだ。女方として,重要無形文化財(人間国宝),芸術院会員にもなったが,義経,敦盛などの立役もすぐれている。著書に《梅と菊》がある。
執筆者:戸板 康二
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尾上梅幸【おのえばいこう】
歌舞伎俳優。現在7世だが,5世までは代々の尾上菊五郎の俳名であった。屋号音羽(おとわ)屋。6世〔1870-1934〕は5世菊五郎の養子。近世の名女方で,1911年から約20年間帝国劇場の座頭(ざがしら)として活躍。世話物を得意とし,また《四谷怪談》《土蜘(つちぐも)》など妖怪変化(ようかいへんげ)の役にもすぐれていた。7世〔1915-1995〕は6世菊五郎の養子。1947年襲名。女方・若衆(わかしゅう)役にすぐれ,父の没後は尾上菊五郎劇団を統率。1968年人間国宝に指定。
→関連項目帝国劇場
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尾上梅幸(7世)
おのえばいこう[ななせい]
[生]1915.8.31. 東京
[没]1995.3.24. 東京
歌舞伎俳優。屋号音羽屋。本名寺嶋誠三。女方。6世尾上菊五郎の養子。 1947年7世襲名。新作,古典ともにこなす尾上菊五郎劇団の立女方。気品あふれる芸風で,二枚目にも名品が少なくない。舞踊も秀逸。あたり役は『摂州合邦辻』の玉手御前,『娘道成寺』の花子,『仮名手本忠臣蔵』の判官など。 1968年重要無形文化財保持者の認定を受けた。 1976年日本芸術院会員,1994年文化功労者に選ばれた。なお,1世から5世までは尾上菊五郎の前名または俳名。
尾上梅幸(6世)
おのえばいこう[ろくせい]
[生]明治3(1870).10.15. 名古屋
[没]1934.11.8. 東京
歌舞伎俳優。屋号音羽屋。本名寺嶋栄之助。女方。5世尾上菊五郎の養子。 1903年6世襲名。 11年帝劇開場と同時に技芸委員長 (座頭) となり,15世市村羽左衛門とのコンビで絶賛を博した。容姿にすぐれ,時代,世話,舞踊すべてをよくし,特に生世話物を得意とした。なお,1世から5世までは尾上菊五郎の前名または俳名。
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尾上梅幸(7代) おのえ-ばいこう
1915-1995 大正-平成時代の歌舞伎役者。
大正4年8月31日生まれ。6代尾上菊五郎の養子。大正10年初舞台。昭和22年7代尾上梅幸を襲名。24年尾上菊五郎劇団を結成。6代中村歌右衛門とならぶ女方。41年芸術院賞,43年人間国宝,51年芸術院会員,平成6年文化功労者。平成7年3月24日死去。79歳。東京出身。日本俳優学校卒。本名は寺嶋誠三。初名は尾上丑之助(4代)。前名は尾上菊之助(3代)。屋号は音羽屋。
尾上梅幸(6代) おのえ-ばいこう
1870-1934 明治-昭和時代前期の歌舞伎役者。
明治3年10月15日生まれ。9年西川栄之助と名のり,名古屋で初舞台。36年6代を襲名した。名女方として知られる。帝国劇場開設と同時に技術委員長。昭和5年大日本俳優協会会長。昭和9年11月8日死去。65歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。本名は寺島栄之助。前名は5代尾上栄三郎。俳名は扇舎。屋号は音羽屋。著作に「女形の事」など。
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尾上 梅幸(6代目) (おのえ ばいこう)
生年月日:1870年10月15日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1934年没
尾上 梅幸(7代目) (おのえ ばいこう)
生年月日:1915年8月31日
大正時代-平成時代の歌舞伎役者
1995年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の尾上梅幸の言及
【梅の下風】より
…歌舞伎俳優の芸談集。6世尾上梅幸著。1930年刊。…
【尾上梅幸】より
…歌舞伎俳優。[尾上菊五郎]代々の俳名で,3世,4世は一時名のって舞台に出たが,初世,2世,5世は芸名にはしなかった。(1)6世(1870‐1934∥明治3‐昭和9) 本名寺島栄之助。名古屋に生まれた。父は3世菊五郎の孫の朝次郎だったが,12歳で5世菊五郎の養子となり,一座の若女方として養父にしこまれ,女方として大成,世話物,家の芸の怪談狂言,新古演劇十種などに当り役が多い。父の相手役でも好演したが,のちに15世市村羽左衛門との共演がファンを狂喜させた。…
【尾上梅幸】より
…歌舞伎俳優。[尾上菊五郎]代々の俳名で,3世,4世は一時名のって舞台に出たが,初世,2世,5世は芸名にはしなかった。(1)6世(1870‐1934∥明治3‐昭和9) 本名寺島栄之助。名古屋に生まれた。父は3世菊五郎の孫の朝次郎だったが,12歳で5世菊五郎の養子となり,一座の若女方として養父にしこまれ,女方として大成,世話物,家の芸の怪談狂言,新古演劇十種などに当り役が多い。父の相手役でも好演したが,のちに15世市村羽左衛門との共演がファンを狂喜させた。…
※「尾上梅幸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」