日本歴史地名大系 「河北村」の解説 河北村かわぎたむら 三重県:阿山郡大山田村河北村[現在地名]大山田村川北(かわきた)広瀬(ひろせ)村の北西に位置する。東北より南西にわたる細長い村で、村域の八〇パーセントまでが山地である。服部(はつとり)川が村の南部を東西に横断し、北岸山麓と川との間の狭小な土地に伊賀街道が東西に通り、街道の北側に集落が形成されている。「河北」「川北」両方を書く。服部川北岸の西山(にしやま)より須恵器片が出土し、その西泥淵(どろぶち)の丘陵に横穴式石室を有する一―二号墳、その北の丘陵地山(やま)ノ神(かみ)に一―一四号墳の古墳があり、しかもほとんど横穴式石室の存在が確認されている。服部川の南方の丘陵横枕(よこまくら)、それに続くナコウには横枕一―二号墳があり、丸山(まるやま)古墳四―一〇号墳が確認され、横穴式石室を認められるもの四基。 河北村こぎたむら 福井県:福井市旧足羽郡地区河北村[現在地名]福井市上河北(かみこぎた)町・下河北(しもこぎた)町足羽川と文殊(もんじゆ)山系との間の平野にあり、細江(ほそえ)村の西に位置する。応永二年(一三九五)八月一五日の足利義満御教書(三宝院文書)に「越前国大土呂、河北」とみえる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図にも「河北村」(高二五一五・三六石)とあるが、正保郷帳以降、東の上河北村と西の下川(河)北村に分れる。同帳によれば、上河北村は田方一千二一九石余・畠方二六石余、下川北村は田方一千五三石余・畠方二一六石余。 河北村こうぎたむら 愛知県:丹羽郡大口町河北村[現在地名]大口町河北北は善師野(ぜんじの)川の下流郷瀬(ごうせ)川を隔てて下野(しもの)村(現扶桑町)に、西は小口(おぐち)村に接する。天保村絵図によれば、当村本郷の集落は幼(おさな)川の北に建並び、枝郷は二ヵ所で中沖(なかおき)は四町ほど南に、二(ふた)ッ屋(や)は小口村境に描かれている。成瀬隼人正の采地村で高九二三石余。田は八一町一畝余、畑は六町八反余。寛文一一年(一六七一)には戸数四六、人数二八七。「徇行記」によれば「屋並ミ大体ヨクミユレトモ、糧戸ノ荒墟竹木ノ間ニ多クアリ、高ニ準シテハ戸口不少、村立ハヨキ所也、其内、薄地多キ故ニ町反ニハ延アレトモ、地頭ノ定免二ツ九分一厘ホトニ当リ下免」の村であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by