河合寺(読み)かわいでら

日本歴史地名大系 「河合寺」の解説

河合寺
かわいでら

[現在地名]河内長野市河合寺

真言宗御室派、山号宣珠山、本尊十一面観音。脇士大日如来・不動明王。寺伝によると皇極天皇二年、勅願によって蘇我入鹿が開基したという。その後天智天皇の勅願によって藤原鎌足が七堂伽藍僧坊を増建したと伝える(「河合寺縁起」河合寺文書、以下同文書)。また空海も一時当寺に住して多数の僧坊を建立し、丹生・高野二神および白山八幡吉野熊野神などを鎮守にしたという。応長元年(一三一一)五月日付河合寺寺僧等愁訴状案は千手千眼の霊場で六〇〇余歳の古跡と記す。往古観心かんしん寺・金剛こんごう寺とともに河内の三大刹であったといわれ、正平三年(一三四八)五月一一日の三寺集会連着座定書に「限大川西而連着座」として金剛寺左座・観心寺右座、「白川東連着座」として観心寺左座・金剛寺右座とあり、「河合寺上横座」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「河合寺」の意味・わかりやすい解説

河合寺
かわいでら

大阪府河内長野(かわちながの)市河合寺にある真言宗御室(おむろ)派の寺。山号は宝珠峯山(ほうじゅぶざん)。643年(皇極天皇2)創建と伝えられる。古くは金剛寺、観心寺とともに河内の三大仏刹(ぶっさつ)といわれたが、寛正(かんしょう)年間(1460~66)畠山(はたけやま)氏の争乱で兵火にかかり衰微した。のち豊臣秀頼(とよとみひでより)により再建が行われたが、現在は本堂と護摩堂(ごまどう)を残すのみである。本尊十一面観音像は楠木正成(くすのきまさしげ)の念持仏という。千手観音(せんじゅかんのん)および不動明王、毘沙門天(びしゃもんてん)、多聞天(たもんてん)、持国天は国指定重要文化財。ほかに宸翰(しんかん)古文書なども多い。門前には江戸中期の儒学者服部南郭(はっとりなんかく)撰文(せんぶん)の楠公(なんこう)遺愛の石碑がある。

[野村全宏]

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