河角広
かわすみひろし
(1904―1972)
地震学者。長野県の出身で、諏訪(すわ)中学校(現、諏訪清陵高等学校)在学中に三沢勝衛(かつえ)(1885―1937)に地理学を学んだことから地学への関心を深めた。医師になることを条件に第一高等学校に進学したが、関東大地震にあい、一転、東京帝国大学地震学科に入学した。1928年(昭和3)卒業すると副手となり、その年に新設された東大地震研究所の嘱託を兼ねる。1937年「地震波の伝播(でんぱ)」研究で理学博士の学位を受け、1944年地震研究所教授から1963年(昭和38)には同研究所長となる。1964年に東京都防災会議地震部会長を委嘱され、1965年の東大定年後も部会長を続け、首都圏の地震防災対策を晩年の課題とした。地震の理論研究から災害防止の応用面まで、幅広い業績をあげたが、もっとも有名な論文は、1970年に発表された「関東南部地震69年周期の証明とその発生の緊迫度ならびに対策の緊急性と問題点」である。この論文で、関東大震災から69年後の1991年の前後各13年以内に関東南部に大地震がおこるという統計地震学的分析と災害予測をしている。
[石山 洋]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
河角 広
カワスミ ヒロシ
昭和期の地震学者 東京大学名誉教授。
- 生年
- 明治37(1904)年7月12日
- 没年
- 昭和47(1972)年12月12日
- 出生地
- 長野県
- 学歴〔年〕
- 東京帝大理学部地震学科〔昭和3年〕卒
- 学位〔年〕
- 理学博士
- 主な受賞名〔年〕
- 日本建築学会賞(昭和27年度・論文部門)「我国における地震危険度の分布と耐震設計基準震度の研究」
- 経歴
- 昭和3年地震研究所嘱託となり三鷹で地震計などで観測、4年東大理学部講師、助教授を経て19年教授となり、地震研に移り、38年所長。東大退官後、39年東京都防災会議地震部会長となった。この間、25年鎌倉、江戸の古地震を調べ、地震69年同期説を発表、大正12年の関東大震災から数えて昭和66年ごろ大地震の危険があると説いた。また26年には日本各地の地震危険度と最高震度の期待値を描いた河角マップを発表、建築学会賞を受けた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
河角広 かわすみ-ひろし
1904-1972 昭和時代の地震学者。
明治37年7月12日生まれ。昭和19年母校東京帝大の地震研究所教授となり,38年所長に就任。日本各地の地震危険度と最高震度の期待値をしめす「河角マップ」で知られ,南関東の地震69年周期説をとなえた。昭和47年12月12日死去。68歳。長野県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
河角 広 (かわすみ ひろし)
生年月日:1904年7月12日
昭和時代の地震学者。東京大学教授;東京都防災会議地震部会長
1972年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 