日本大百科全書(ニッポニカ) 「沼田順義」の意味・わかりやすい解説
沼田順義
ぬまたゆきよし
(1792―1850)
江戸後期の学者、医師。字(あざな)は道意。楽水堂と号した。寛政(かんせい)4年上野(こうずけ)国(群馬県)の代々豪農の家に生まれる。大熊松泉、磯野公道(いそのこうどう)(1772―1847)らに就いて医術を学び、武州川越(埼玉県川越市)に開業。後年失明して検校(けんぎょう)に補せられ、江戸に出て湯島に住し、三芳野城長(みよしのじょうちょう)と称した。林述斎(はやしじゅつさい)の門に学ぶなど和漢の学に造詣(ぞうけい)深く、名声があった。なかでも『級長戸風(しなどのかぜ)』(1830)『国意考弁妄(こくいこうべんもう)』(1831)などを著し、賀茂真淵(かもまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)ら国学者の日本中心主義、反儒教主義を神儒一致の立場から批判したことは知られる。嘉永(かえい)2年12月17日病没した。墓所は東京・下谷(したや)の正慶寺。
[高橋美由紀 2016年6月20日]
『鷲尾順敬編『日本思想闘諍史料 第7巻』復刻版(1969・名著刊行会)』