波村(読み)さばなみむら

日本歴史地名大系 「波村」の解説

波村
さばなみむら

[現在地名]南条町鯖波

北流する日野川左岸、連光坊れんこうぼう山の東麓に位置する。日野川に並行して通る北陸街道の宿場でもあった。西は奥野々別所おくののべつしよ村。

「太平記」によれば、建武三年(一三三六)一〇月、新田義貞は恒良親王らを奉じて北国に下ったが、その弟脇屋義助ら三千余騎は敦賀から杣山そまやまに赴いた。杣山の瓜生判官保の兄弟は「種々ノ酒肴舁セテ鯖並さばなみノ宿ヘ参向」、義助らを歓待している(巻一七「瓜生判官心替事付義鑑房蔵義治事」)。義貞の子義顕はさらに越後に向かおうとして鯖並宿で軍勢をそろえたが、瓜生保の変心をきいて敦賀に引返した(同書同巻)。しかし一一月、瓜生氏は南朝方として挙兵、「則其勢ヲ五百余騎差分テ、鯖並ノ宿・湯尾ノ峠ニ関ヲすえテ、北国ノ道ヲ差塞さしふさぐ」とある(巻一八「瓜生挙旗事」)。古くからの宿場であり、要衝の地であったことが知られる。暦応四年(一三四一)七月日付得江頼員軍忠状(得江文書)によれば、当地や脇本わきもとで南北朝両軍が合戦している。また「尋憲記」元亀四年(一五七三)正月二七日条に「弐百五十文さはなミ役所」とみえ、朝倉氏時代、関所があった。

波村
つくばむら

[現在地名]筑波町筑波

筑波山南中腹に所在。南は臼井うすい村。筑波山つくばさん(中禅寺)門前集落を中核として村が形成されたと考えられ、「和名抄」の筑波郷は当村一帯に比定される。俚諺に「筑波千軒、小田千軒、北条三百六十軒」といわれ、「新編常陸国誌」では村内に西山にしやま町・門前もんぜん町・横道よこみち町・一町目・二町目・三町目・四町目・五町目・六町目・東山神戸内ひがしやまかんべうち東山新田ひがしやましんでん町の通称名がみられる。

波村
つくばむら

[現在地名]下妻市筑波島つくわじま

小貝こかい川右岸にあり、東は下新田しもしんでん村。古代は「和名抄」記載の月波つきは郷の本郷の地といわれる(新編常陸国誌)。室町中期以降は多賀谷氏の支配下に入り、応永(一三九四―一四二八)頃と思われる水戸吉田薬王やくおう院旧蔵の古図には築波島村とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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