南北朝時代の武将。嵯峨(さが)源氏の流れといわれ、判官と称し越前(えちぜん)(福井県)に住した。1335年(建武2)中先代(なかせんだい)の乱に際し、北条一族の名越時兼(なごえときかね)が北国で挙兵すると、保らは加賀大聖寺(だいしょうじ)にこれを攻めて滅ぼした。36年(延元1・建武3)保は斯波高経(しばたかつね)らに属し、新田義貞(にったよしさだ)を越前金ヶ崎(かねがさき)城に攻めた。しかし保の3人の弟(重(しげし)、照(てらす)、僧義鑑)が義貞の甥(おい)の脇屋義治(わきやよしはる)を奉じ杣山(そまやま)城に挙兵しようとしているのを聞くとこれに合流し、逆に高経軍を敗退させた。37年(延元2・建武4)金ヶ崎城の救援に向かったが途中、今川頼貞(よりさだ)と戦い、弟の義鑑とともに戦死した。
[小要 博]
『千々和実編『新田氏根本史料』(1974・国書刊行会)』▽『『日本古典文学大系 太平記 第二巻』(1961・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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