改訂新版 世界大百科事典 「注解学派」の意味・わかりやすい解説
注解学派 (ちゅうかいがくは)
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注釈学派の後を受けて13世紀中葉以降イタリアの各地に起こり,14世紀に隆盛をきわめたローマ法研究(教育)の学派で,その活動は16世紀初頭にまで及ぶ。古くは後期注釈学派といわれ,最近は助言学派とも呼ばれる。〈注解commentaria〉がその主要な著作形式であるが,ローマ法大全の配列順序を追いながらもすでに法文の重点的な取扱いをしており,〈注釈glossae〉ほどテキストに密着せず,文言そのものよりも法命題の解説に主眼をおいている。また裁判官(ときには私人)の要請にこたえて与える実際の法律事件に関する〈助言consilia〉にたいへん力を入れた。そこにみられる注釈学派との相違は,何よりも個々の問題に対する集中的な論究と法実務における現下の諸問題への取組みにあり,またそのために,柔軟かつ精緻な解釈および論証方法を盛期スコラ学に助成されて発展させたことである。
この学派は,13世紀前半南フランスで独自の発達をみたローマ法研究の新しい方向を導入したキヌスCinus de Pistoia(1270ころ-1336)を準備者としながら,バルトルスとその弟子バルドゥスBaldus de Ubaldis(1327-1400)によって確立され,同時にその学問的頂点に達している。彼らはイタリア諸都市で現実に通用する条例や慣習をも理論的に法として承認し,これらの特別法に対し補充的通用力を有する普通法jus communeがローマ法(およびカノン法)であるとした。こうして種々の特別法源が学問的な解釈・論証方法の支配下におかれるとともに,ローマ法大全の諸法文がきわめて可動的な,大胆な類推により一般化するしかたで実生活に適合させられていった。真理の具現と考えられた個々の法文をつねに拠りどころとしながらも,実際にはこれにかなり自由に,ときに決定的な変容を加えることになった。このすぐれて法創造的な解釈活動(とりわけ〈助言〉における)を通じて,普通法の内容が形成・発展させられたが,注解学派が中央権力の欠如したイタリアで普通法の統一的・継続的な通用をたしかなものとしたのは,ローマ法大全自体の権威に加えて,彼らが当時の政治的および社会的・経済的な生活現実を法学的によく処理しえていたからにほかならない。
→ローマ法の継受
執筆者:佐々木 有司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報