改訂新版 世界大百科事典 「バルトルス」の意味・わかりやすい解説
バルトルス
Bartolus de Saxoferrato
生没年:1313-57
イタリアの法学者。注解学派の最大の代表者。アンコナ地方サッソフェラート近傍の農村部に生まれる。あるフランシスコ会修道士から初等教育を授けられ,わずか14歳でペルージアに赴きキーヌスについてローマ法を学んだ後,ボローニャ大学で勉学を続け1334年に学位を取得。その後数年間は法実務に従事していたようであるが,39年ピサ大学で教鞭をとり,43年から没年までペルージア大学の教授。ペルージアでバルトルスは,〈偉大な名声を獲得し法の最高の注解者と呼ばれ始め,そのためイタリア全土からすべての学生がこの地に殺到した〉(ヤーソン(1435-1519)の言葉)と伝えられる。ペルージア市は彼と弟(ボナックルシウス)に市民権を付与した。また55年ピサに滞在中の神聖ローマ皇帝カール4世のもとに同市の使節の一員として派遣されたバルトルスは,同帝から法学者として当時望みうる最高の名誉や特権を授与されている。
バルトルスの主要な業績は,ローマ法大全諸巻に付された《注解Commentaria》と実際の法律事件に関して与えた《助言Consilia》であり,それに《設問Quaestiones》《論文Tractatus》が加えられる。バルトルスはキーヌスの決定的な影響下に新しい法学の方法を確立したが,その特徴は,従来に比してより柔軟かつ綿密な解釈および論証方法,ローマ法大全のテキストと《標準注釈》(アックルシウス)に以前ほどとらわれていないこと,現下の法律問題に対する関心と法実務の経験の利用にあった。こうして,条例理論(諸都市の条例制定権と,ローマ法との関係および条例相互間の関係におけるその通用範囲,これと関連して国際私法という新しい分野の開拓も行われた)をはじめとして,公・私法のさまざまな分野で当時の北・中部イタリアの生活現実に適合的な解決をもたらした。バルトルスはまもなく《標準注釈》とほとんど同等の権威を認められ,このことは1544年パドバ大学に〈テキスト,注釈およびバルトルスについての講義〉という講座がおかれ,多くの大学がこれにならったことからも容易に知られる。バルトルスは,広くヨーロッパ諸国の法学と法実務に重大な影響を及ぼし,〈バルトルスの徒にあらざれば法律家にあらず〉とまでいわれた。しかもそれは17世紀前半にいたるまでみられ,〈バルトルスの見解opinio Bartoli〉がそのまま法律として通用することが少なくなかったのである。
執筆者:佐々木 有司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報