改訂新版 世界大百科事典 「注釈学派」の意味・わかりやすい解説
注釈学派 (ちゅうしゃくがくは)
glossatores[ラテン]
11世紀末ないし12世紀初頭,北イタリアのボローニャでローマ法大全の全体,なかでもその最も浩瀚かつ重要な部分である〈学説彙纂〉が学問的に再発見されることになった(いわゆる〈ローマ法(学)の復活〉)が,ここに成立したローマ法の研究・教育の学派が注釈学派(ボローニャ学派ともいう)である。彼らにとってローマ法大全は神意の発現たる法真理そのものの表示(〈書かれた理性〉)として権威的なテキストであり,その配列順に法文に分析的釈義(〈注釈glossae〉)を施していくことが中心課題となった。そのさいまた,平行法文や対立法文の指摘がなされ,テキスト間に存在する矛盾は見せかけだけのものとして論理的操作による調和がはかられた。すなわち,スコラ的方法にもとづくローマ法大全の解読が行われたのである。イルネリウスを創始者とする注釈学派は,弟子の四博士quattuor doctoresの時代にかけて著しい興隆をみ,12世紀中葉にはヨーロッパ各地から約1万人の学生が留学していた。アゾAzo Portius(1150ころ-1230ころ)とともに学問的頂点に達したが,13世紀中葉にそれまでの注釈を集大成したアックルシウスの作品《標準注釈》が出てその幕を閉じる。注釈以外の著作形式としては,〈勅法彙纂〉や〈法学提要〉の章題についての当該の章だけではなくすべての関連法素材を踏まえた総括的叙述である〈集成summae〉が重要である。なかでもアゾの集成はいわば法律案内書として広く普及し,〈アゾを持たざる者は法廷に行くべからず〉とまでいわれた。注釈学派については従来理論的側面が強調されてきたが,近時実務との結びつきにも目が向けられている。法学授業における法律的な論証および討論の訓練,訴訟法文献や集成その他の実務的必要にこたえた法学文献などをみても,法実務への指向を過小に評価してはならない。注釈学派の法学はヨーロッパ中に伝播し,それとともに,共通の法学識を備えた職業的法律家(法曹)の登場をみることになるのである。
なお,近代において,ナポレオン法典成立後徐々に形成され,19世紀中葉から後半にかけてフランス法学界の大勢を支配することになった学派で,法典を絶対視し,その条文の意義の理解を第一義とした〈エコール・エグゼジェティクÉcoleexégétique〉も,日本では注釈学派と訳されている。
→注解学派 →ローマ法の継受
執筆者:佐々木 有司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報