泰寧寺(読み)たいねいじ

日本歴史地名大系 「泰寧寺」の解説

泰寧寺
たいねいじ

[現在地名]新治村須川 細尾

山号泉峯山、本尊聖観音曹洞宗。貞享元年(一六八四)の明細書上(寺蔵)によると、延慶二年(一三〇九)の創建で開基須川すかわの領主細河(川)伊予守源綱利。天文六年(一五三七)玉泉ぎよくせん(現月夜野町)八代洞庵を中興開山として迎え、以後玉泉寺末として推移。山門(一棟)、本堂欄間・須弥壇は県指定重要文化財。山門は間口三間、奥行二間の重層門。階上は四枚の引違唐戸、左右の間に火頭窓がある。内部に釈迦三尊、迦葉・阿難の二大弟子および十六羅漢の像を安置。格天井には花鳥図が描かれている。二軒二重繁垂木で屋根は入母屋造・銅板葺・裳階付。

泰寧寺
たいねいじ

[現在地名]八郷町根小屋

竜神りゆうじん山の西麓に位置する。曹洞宗、霊石山と号し、本尊は聖観音。永正六年(一五〇九)天海舜政が石塚いしつか(現東茨城郡常北町)建立したと伝えられる。天正一九年(一五九一)石塚地方を支配していた石塚義辰が、佐竹氏の命により片野かたの城主として国替になるに伴い、領内の当寺と浄瑠璃光じようるりこう(真言宗豊山派)を現在地に移したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報