出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
平安時代の記録書。大江匡房(おおえのまさふさ)著。1096年(永長1)7月、京都で行われた永長(えいちょう)大田楽の記録。原文は漢文で、「永長元年の夏、洛陽大田楽のことあり、その起こるところを知らず」の書き出しでもわかるように、記述は総括的、評論風である。宮廷の侍講(じこう)を務め、当代一流の学者兼行政官であった匡房は、祇園(ぎおん)祭を頂点に郷村からの田楽団が京中を巻き込んだ騒動を述べ、白河院の催した田楽をあるまじき狂態だと評し、田楽好きの皇女郁芳門院(いくほうもんいん)の急逝に関連させて、「妖異(ようい)の萌(きざ)すところ人力及ばず」と時世を論評している。『中右記(ちゅうゆうき)』『古事談』とともに、田楽史上貴重な資料である。
[新井恒易]
『守屋毅校注『洛陽田楽記』(『日本思想大系23 古代中世芸術論』所収・1973・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…当時の政情不安や,末法思想などの社会不安を背景に,1096年(永長1)を頂点として短期間流行した特殊な芸能現象である。そのようすは《中右記》や《古事談》《洛陽田楽記》に詳しく,永長の大田楽の名でも呼ばれる。芸能者は殿上人(てんじようびと)をはじめ下級の青侍などにいたるまで,高足・一足・腰鼓・振鼓・銅鈸子・編木・殖女・舂女(《洛陽田楽記》),懸鼓・小鼓・銅拍子・左々良(ささら)・笛・田主・一足・二足(《中右記》)などの姿が見える。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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