洞院公定(読み)トウインキンサダ

デジタル大辞泉 「洞院公定」の意味・読み・例文・類語

とういん‐きんさだ〔トウヰン‐〕【洞院公定】

[1340~1399]南北朝時代公卿右大臣左大臣歴任諸家系図を集大成した「尊卑分脈」を編纂へんさん日記「洞院公定日記」は南北朝期の世情を記す。後中園左府。

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精選版 日本国語大辞典 「洞院公定」の意味・読み・例文・類語

とういん‐きんさだ【洞院公定】

南北朝・室町時代の公卿。左大臣。法名元貞。内大臣洞院実夏の子、公賢の孫。博識家として知られ、諸家の系図を集大成した「尊卑分脈」を編纂した。日記が残されている。暦応三=興国元~応永六年(一三四〇‐九九

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朝日日本歴史人物事典 「洞院公定」の解説

洞院公定

没年:応永6.6.15(1399.7.18)
生年:暦応3/興国1.1.26(1340.2.24)
南北朝・室町時代の公卿。法名は元貞,後中園左大臣と号した。父は洞院実夏,母は持明院保藤の娘。貞和2/正平1(1346)年に元服,文和2/正平8(1353)年従三位,文和4/正平10年参議,延文2/正平12年権中納言となる。父実夏が貞治6/正平22年に没して,大叔父実守が南朝方から北朝方に帰参して洞院家家督相続を試みたが,応安4/建徳2(1371)年に公定が家督,家領を継いだ。永和2/天授2(1376)年権大納言,応永2(1395)年従一位,内大臣,右大臣,同3年に左大臣となる。同5年に辞任,同6年に出家してまもなく没した。正二位,権大納言であった永和3/天授3年から応永2年のころに諸氏の系図を集成した『尊卑分脈』を編集した。『洞院公定日記』(1374~77)がある。

(伊東正子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「洞院公定」の意味・わかりやすい解説

洞院公定
とういんきんさだ

[生]興国1=暦応3(1340).1.26.
[没]応永6(1399).6.15.
南北朝時代の廷臣。実夏の子,公賢の孫。生れた年に叙爵され,以後累進して,正平 12=延文2 (57) 年権中納言に就任。一時職を辞したが,権中納言に復職し,天授2=永和2 (76) 年権大納言に昇進。以後,辞職,復職を繰返し,応永3 (96) 年左大臣となったが,同5年職を辞した。諸家の系図『尊卑分脈』 (14巻) を編纂,『洞院公定日記』がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「洞院公定」の解説

洞院公定 とういん-きんさだ

1340-1399 南北朝-室町時代の公卿(くぎょう)。
暦応(りゃくおう)3=延元5年1月26日生まれ。洞院実夏(さねなつ)の子。母は持明院保藤(やすふじ)の娘。祖父公賢(きんかた)の弟実守(さねもり)との抗争の末,家督をつぐ。従一位,左大臣。後中園(ごなかぞの)左大臣と称された。諸家の系図「尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)」を編修。応永6年6月15日死去。60歳。法名は元貞。日記に「公定公記」。

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367日誕生日大事典 「洞院公定」の解説

洞院公定 (とういんきんさだ)

生年月日:1340年1月26日
南北朝時代;室町時代の公卿
1399年没

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世界大百科事典(旧版)内の洞院公定の言及

【尊卑分脈】より

…諸家の系図を集成したもので,姓氏家系を調べるのには欠くことのできない重要な史料である。洞院公定(とういんきみさだ)(1340‐99)著。内題には《新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集》とあるが,普通《尊卑分脈》の名で呼ばれ,また《大系図》とも称される。…

【洞院家】より

…藤原氏北家閑院流の西園寺公経の男左大臣実雄(1217‐74)を始祖とする堂上公家。実雄の女のうち,佶子は亀山天皇の皇后として後宇多天皇を生んで京極院の院号を受け,愔子は後深草天皇の後宮に入って伏見天皇を生み玄輝門院の院号を受け,季子も伏見天皇の後宮に入って花園天皇を生み顕親門院の院号を受けるなど,大覚寺・持明院両皇統の国母を出したため,実雄をはじめ歴代が大臣に任ぜられる家柄となり,また実雄の男公雄が小倉家を,2代公守の男実明が正親町(おおぎまち)家を起こすなど庶流も分立し,家に多くの典籍を蓄え,博識の人も多く出た。…

※「洞院公定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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